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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2017年2月1日

またまた、嗚小小一碗茶

――「ターミナル」は、いつ、どこに

佐平次の写真「終着駅」という映画が昔あった。日本でもヒットした映画だった。調べてみると、1958年の作品である。
 ハリウッド映画であった。原題は、「Terminal Station」。「Terminal」は、イタリア語では「テルミニ」。ローマの「テルミニ」駅、中央駅が舞台であった。
 ずっと行っていないので、今はどうなっているかわからない。昔むかし訪れた時には、映画とダブって、なんとなくロマンチックな思いがあり、ある種の感激で眺めた記憶がある。ホームとホームにある線路が、何本も何本もそこで終わって、「線路は続いていない」ことに、「ここで終わり」というセンチメンタルな思いだった。

 30年ほど前だろうか、医療の現場で、「ターミナルケア」という言葉が、頻繁に使われるようになった。「老齢化社会」が、深刻に語られる少し前である。
 その時に、高名なこの領域にも見識を示していたドクターと、「ターミナル」の言葉について、話したことがあった。私は、何となく、映画、ローマのテルミニの思いから、ロマンチックなイメージをダブらせて、この言葉を使った。ドクターは、「終末医療」であって、「ターミナル」は、けっしてロマンチックなものではない、と言われて、そのとおりだと思った。
 それ以来、今に至るまで、「ターミナル」の言葉を使う時は、少し慎重に使うようになった。

 このところ、身近なところで、同年齢、年下の働き盛りの人たちの訃報を聞くことが重なった。
 サロンに一区切りをつけ、終了させた後の時間の過ごし方を、何気なく考えた時、「ターミナル」という言葉がうかんできた。
 考えてみると、ローマのテルミニもそうであった。確かに線路は、そこで終わっている。「終着駅」である。入ってくる電車は、そこで終わりである。

 しかし、入ってきた列車の多くは、次の目的地を表示して、また出ていく。そこは、じつは「始発駅」でもある。「終着」は、「出発」でもあった。
 ただ、人生のばあい、それは違う。「死」を「終着駅」とするならば、それは本人にとっては、宗教的な教えにおいてのみ、「始発」「出発」であって、現実には、まさに後戻りのない、再出発のない「終着」である。
 もし、その「終着」が、「始発」「出発」になるとすれば、残されたものたちが、その「終着」を「始発」「出発」とするかどうかである。

 サロンを閉じることは、「終着」の一つを示すことである。
 その「終着」を示した時、「人生の残された時間を、どうするのですか?」という質問がたくさん来た。
 そんなこと、考えて、終えることなど決めていなかった。私の人生で、「計画」などほとんどなく、「なんとなく」人生を送ってきた。そんな人間にとって、とてもむずかしい質問であった。
 まして、その残された時間と、「中国茶」との関わりなど、真剣に考えたことはなかった。

 サロンを終えてから、残さなければならない「中国茶」との関わりの仕事は、いくつかである。まったくなくしたかったが、「関わり」がからみあって、残さなければならなかった。
 完全な「終着」ではないにせよ、気持ちとしてはほぼ「終着」である。

 サロンをやめたら、月1回くらいでも、茶会でもやりながら、色々な人とゆっくりお茶でも飲みたい、くらいを漠然と考えていた。
 いよいよ現実味をおびて、考えなければならない時期になって、「茶会」というのに、抵抗があった。
 簡単に言ってしまえば、「よそいき」のお茶ではなく、「気軽な」お茶で余生を過ごしたいと思った。言い方を変えれば、「形式的」お茶からは、もう決別を本当にしたかった。「もっと自由に」、「もっと心のある」お茶でいたいと思った。

 中国茶の集まりを、日本ではいつの日からか、「茶会」と呼ぶようになってしまった。「茶藝」の資格制度を背景にしていることから、どうしても「形式化」していき、その集まりは、まさに、茶道で使われていた「茶会」という言葉がぴったりであった。
 もっといけないのは、その精神性や芸術性を謳いながら、そんな姿を表現するには、到底遠いものであった。教える側も、それがどのような形で、茶会なり茶藝で表現されるかを、教えてくれる人もいなかった。

 私個人の美学の問題でもあるが、「個性」のないお茶なんて、ご免こうむりたい、と思うようになってしばらくたつ。じじつ、「おいしいお茶」を極める向こうに至るには、「個性」を除いては、たどり着けない、と教えることを実践しながら、得た結論の一つであった。

 そして、これもなんとなく、「茶会」ではなく、「茶話会」をしよう、という気になった。
「茶話会」。文字どおり、お茶を飲みながら、お話しをしましょう、という会である。
 テーマも何もない。月1回、決められた時間に集まり、中国茶を飲み、皆さんとお話しをして、帰るだけである。
 飲むお茶も、決めないで当日臨むつもりである。皆さんの顔を見て、そして、皆さんのお話しを聞きながら、決めるつもりである。
 そんな「ゆるい」集まりを通して、中国茶との関わりを続けていこうと考えた。
 4月から、午後の集まりと、夜の集まりの会をスタートさせる。募集も、2月から始まる予定である。
 どうなるかは、あまり考えていない。成りゆきにまかせて。
 今回の「ターミナル」は、いつ、どこになるのか、まだ見えない。が、3年をめどにしている。

 
 このコラムの中に、毎回、「いっぴん」の話しをもつことにした。
 どのような形式で登場するのかは、わからない。これもなりゆきで始めたら、いずれ形ができるであろう。
 中国茶との関わりも、私の「食いしん坊」から始まったものである。どんな「食」の逸品か、一品か。楽しみにしていただきたい。

 今回の「いっぴん」は、居酒屋のつき出しである。
 写真が、お茶と関わりがないのものであるのが、ここまで来ておわかりになったであろう。
 このところ、居酒屋のつき出しで、すぐれものに出会う機会が多くなった。
 ここ数ヶ月の間で、感心したのは、京都の居酒屋というには、ちょっと抵抗があるくらい、立派なカウンター割烹だと思うが、「むろまち・加地」で、まず出された「八寸」である。
 そして、つい最近、それとはまったく違う力で、私をうならせたつき出しが、写真のものである。函館「二代目・佐平次」のつき出しである。
 日本酒が、入手困難なおいしいものを含め、尋常ではない数をそろえている。その上に、ここのつまみ、料理は、旧来の居酒屋のものを、超越している。もちろん刺身もあるが、おすすめは、フレンチ、イタリアン、スパニッシュといった方がよいメニューの数々である。
 まず、はずれはない。はずれない、というレベルを超えて、そのへんのフレンチ、イタリアン、スパニッシュよりもずっとおいしいものの数々である。
 写真のつき出しも、「パテ・ド・カンパーニュ」、「スパニッシュオムレツ」など、洋のものが盛られている。そして、パンがそえられている。このパンも、なかなかのもので、車でけっこう遠いところのパン屋さんのものらしい。
 ともかく、函館に行く機会があられたら、訪れたら、満腹のお腹とおいしいお酒の酔いで、幸せ感いっぱいに、店を出ることになること間違いなし。
「二代目・左平次」。毎回驚きがある。若き大将、というよりも、シェフ山形さんの腕がなる。

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