2017年2月15日
さっそく、今回の「いっぴん」から始まる。
写真は、「鯛のしゃぶしゃぶ」である。
場所は、和歌山。この日の鯛は、かなり大物の鯛である。当然、身は厚い。
今の時期、メスは産卵を控えて、深場に行き、オスは上側を泳ぐので、オスの皮は、色が黒みがかるという。並んだものを見ると、赤いメスと、黒みがかったオスで、区別ができるという。
もちろん、身はプリプリ。それを、鯛のアラから作ったスープを沸かした中に、さっと泳がせる。そのまま食べても甘みをもった旨味と、キリリ感があり、おいしい。お勧めに従って、梅酢をあしらったタレで食べるのも、またおいしい。
「それを食べに」、というのは正確でないので、「それも食べに」、和歌山に来た。
関西で、鯛といえば、料理屋さんでも、古くから「明石の鯛」である。京都はとくにそうであった。
思い出すのは、京都「千花」が出す、先代が作った定番メニュー、「鯛のお刺身」である。
40年ほど前、毎日明石から鯛が店に持ち込まれて、その中から一番よいものを選ぶ、と先代は言った。私はまだ若造だったので、怖いもの知らずに、「おいしい鯛は、どうやって選ぶのですか」、と聞いた。先代は、「顔を見て選ぶ」とキレよく言ったことを、思い出す。
刺身は、刺身包丁で、引くように切る姿は、名人によって美しさが違う。まれに包丁を押し出すように、切る姿を見ることもある。
名人は、「姿」になって見える。力を入れるわけではなく、タイミングを作りながら、包丁に「気」を載せるように動かす姿は、腰の位置、前傾の角度、それぞれが違いながら、それぞれのリズムで、動いていく。
刺身を切る。数を見て、食していくと、しだいにその人の腕のほど、味の傾向などが類推できるようになる気がする。
「千花」の先代の「鯛の刺身」は、切るのは切るが、刺身の切り身ではなく、鯛を千切りのように、細く切った。
それに、大阪の昆布を糸のように細く切り、それを鯛に和えるようにまぜた。少し盛り上がるように盛りつけ、白と黒がおり混ざった姿は、その意外性から、どのような食感、味になるか、好奇が大きく広がっていった。そんな初回を思い出す。
一昨年、和歌山に「しらす丼」を食べたくなった。和歌山市駅から南海電車に乗って、のんびりと、でも予想より近くの、「加太」というところに連れて行ってもらった。
「しらす」を食べに、そんなところまで、とふつうの人なら当然考える。スーパーなどの店頭にも、「しらす」はいつでも並んでいるし、「静岡」「湘南」の「しらす」が一番と思っている人も多い。でも、「加太」はおいしい、という関西の人たちの言におされて、加太に行こうと思った。
わりに安い食べ物に、大枚な交通費をかけても行くことに、変な美学があるとも思った。
加太にある淡島神社の参道、といっても、港に面したところから始まる短い道といった方がよい。港に面した魚屋さんに近い感じの店が、2・3軒並んでいる。そのうちの一つ「満幸商店」。そこで、山盛りのしらす丼の写真をネットで見て、期待を膨らませて行った。
「しらす丼」を注文したが、やり手そうなお姉さんが、「初めてなら、このコースを食べて」とゆずらない。「しらす丼だけ食べたい」と言っても、許してくれない。何度も押し問答をしても、ダメで、結局前菜、スープ、鯛の刺身などから始まる鯛数品、最後にしらす丼で、デザートまでついている。
コースに決めて、お姉さんは上機嫌になった。予算は数倍に跳ね上がった。お姉さんは、外の生け簀に行って、小ぶりの鯛をすくいあげ、こちらに見せて、「これでいくね!」みたいなことを言っていた。
帰りは駅まで車で送っていく、と言って、我々だけ帰るのを許してくれなかった。10分ほどの駅までの車の中で、一人でしゃべっていた。
「加太の漁師は、しらすを捕っていない。しらすは、雑魚。鯛の一本釣りが、加太の漁師だよ。加太の鯛は、一番だ。しらすは、鯛の漁場の外で、ドバッと捕っている」。
店の売りの「しらす丼」は、じゃあ一体何なんだ、とちょっと不快に思いながら、先ほど食べた、ワイルドに料理された鯛は、確かに美味しかった。不快感も、鯛を食べさせてくれたことで、どこかに飛んでいた。
そして、今回、加太の鯛を目標に、食べに行きたいと思っていた。その他、みかん、ポンカン、伊予柑、せとか、清見、ネーブル…と今揃っている柑橘類、醤油の発祥の地・湯浅にある最上の「しらす」、新酒が出始める日本酒、「うすいえんどう」も出ているだろう、牛肉消費量日本一を支えるおいしい牛肉、夢は大きく膨らみながら、その中で「加太の鯛」との出会いが、大きなウエイトを持っていた。
京都での行きつけの板前割烹の名人も、昨年行ってときに、「加太の鯛」のすごさを認めていた。「ふっくらさ、丸さ、芳醇さの明石」「キレのよさ、身の締まりの加太」みたいな私の定義が、しだいに固まっていた。
そして、出会った「加太の鯛」は、和歌山初日に、出てくるとは思っていなかったところで、出て来た。それが、最初の話し、写真の鯛である。大満足である。
最終日、加太まで行って食べようかと思っていたが、その必要を忘れさせた。
百年以上続く、仕出し割烹「八百亀」。
まだ若きという表現でもよいような、意欲とエネルギーがあるご主人は、また和歌山へ行く目的を作らせる、人柄と技であった。
忘れるところだった。このコラムは、中国茶のコラムである。
刺身を切る「姿」に、料理人の腕を見る話しをしたが、同じことが、「茶藝」の姿、お茶をいれる「姿」を見て、どんなお茶がはいるかを見極めることができるようになったのは、つい4・5年前のことのように思える。
それは、茶藝/お茶のいれ方を教えることから、学んだことである。たぶん、数百人の、数万回の練習を見てきて、わかるようになったのだと思う。
「姿」がいかに重要なことか、「形」がいかにおいしいお茶をいれることに、影響を与えることか。それは、真実である。
しかし、それなら、「姿」「形」を教えることで、おいしいお茶は身につくか、姿になるか、というとそれは、違っている。日本の茶道などは、多くの先生は、「姿」「形」を教えることからアプローチをするが、そのやり方で、中国茶のおいしいいれ手にすることは、とても難しいことだと思う。
基本の考え方、お茶をいれる基本の技術がまず第一段階である。そして、いれる「思い」であったり、「理念」といったことが、それに付加されていくことで、おいしさ名人への次の段階へとなる。
それらののち、「姿」「形」へのアプローチがあってこそ、その人の「姿」「形」が身につき、表現され、お茶いれの名手として確立していく。
身についた姿、形は、「自分の姿」「自分の形」であり、他人のそれとは違う。
いくら美しかったり、整った姿・形であっても、それは一時的な満足はあっても、すぐに飽きられる味、おいしさにしかならない。
教える方は、その姿、形の至る風景を、その人の中にイメージしなければ、教えることはなかなか難しい。そんな教える人を育てることは、まだ道半ばであったが、もはや気づいた時は、時間切れであったかもしれない。
「加太の鯛」がまた教えてくれる、茶藝の道である。
ともかく、「和歌山、またまた恐るべし」。