2017年3月1日
「いっぴん」は、また「和歌山」である。今回は、柑橘類。
この調子で、毎回和歌山の「いっぴん」を連続してとりあげたら、どこまで続くかピックアップしてみた。「しらす」、「金山寺味噌」、「山椒羊羹」、「龍神丸」「紀土」「雑賀」などの日本酒、「じゃばら酒」、「太刀魚」、「100円つまみの居酒屋」、「紀州梅・椎茸バーガー」、「鉄板焼き」、それにまだ食べたことがないから候補になるが、「湯浅なす」、「スマ」など、ゆうに半年は続いてしまう。
じつは、私の柑橘好きは、この数年である。それ以前は、柑橘類は私の嗜好の範囲の外にあった。いくつかの理由があって、遠ざけていた。あるいは手がでなかった。
その反動か、今は柑橘フリークになっている。冬が近づくと、今年の出荷が気になり始める。
小さい頃、みかんは、贅沢品であった。
産地からは遠い、北海道にいたせいもあって、流通もままならなかった。寒くてみかんが凍ってしまうせいもあったのだろう。貴重品で、高かった。
柑橘から遠ざかっていたもう一つの理由は、「皮を剥く」のが面倒くさかった。
小さなみかんでも、皮をむいて、中の皮も出すように躾けられていたので、面倒だった。
せっかちな私にとっては、とても面倒だった。
10年弱前。大阪で懇意の料理名人が、「あら川の桃」を送ってくださった。
それ以来、和歌山の果物へ、めり込みでいった。
「あら川の桃」の虜になってしまったところに、秋には「九度山の柿」がある、と別の大阪人が教えてくれた。
大阪の人の一般的特性か、私を取り巻いている大阪の人の特性か、15年、20年と大阪に通っていて、かなり親交があっても、自分から「これがおいしい」と、積極的に教えてくれることをしてくれない。
こちらから、「これはどこがおいしい」と聞いても、「そうねえ……」と言いながら、確たる答えが返ってこない。
「ここのこれがおいしい」とこちらがいうと、「それよりも、ここのこれがおいしい」と、反論のかたちで、情報を提供してくれることが多い。
だから、まず、こちらのインプットがなければ、それ以上発展はない。
そんな流れで、冬は「田村みかん」というのがある、と教えてくれた。
種子島の「たんかん」で、その数年前に、柑橘への認識が変わっていたところに、そんな情報が入ってきた。そして、親切な方が送ってくれた。
和歌山といえば、「有田みかん」だが、「あら川」「九度山」と同様、もっと地域特定で「田村」の登場であった。
「田村」といっても、どこにあるのかもわからないが、ともかくおいしいので、名前だけで満足した。
あとから調べても、「田村」という地名は存在しない。「田村地区」と呼ばれる地区らしく、住所でいえば、「有田郡湯浅町田」というところらしい。「湯浅町立田村小学校」があるところで、この小学校も、設立当時は「田小学校」だったらしいので、たぶん昔は「大字田」といった一帯が「田村地区」だろうと、勝手に想像している。
昨シーズンまでは、12月に入ると、ネットで様子を見ながら、「田村みかん」を1月初旬まで、何度か取り寄せていた。
昨年3月に、「しらす」を食べに和歌山に行った時、「湯浅」の町を一日歩いた。帰りの電車を待ちながら、駅前にある果物屋さんで、試食をしなさい、と勧められて、結果、「清見」「せとか」を買って東京まで送った。東京の値段が、信じられなかった。
東京で食べると、一層おいしかったので、すぐさま2度にわたって取り寄せた。
冬の初めから、どんどんみかんの種類が、変わっていく。ふつうに「みかん」からはじまって、「田村みかん」、「ポンカン」、「八朔」、「デコポン」、「はるみ」、「清見」、「せとか」、「ネーブル」と、和歌山の代表的なものだけでも、これだけ変わっていく。
とても覚えられない。愛媛で最初作られたものもあるので、なおさらわかりにくい。
今シーズン、12月の中旬に、「田村みかん」を追いかけるように、聞いたことのないみかんが届いた。
「味一」である。このおいしさは、「田村みかん」を超えていた。
調べたら、県が指導しながら、有田で作られるみかんの中で、センサーで糖度、酸度を測り、そのバランスの一定値以上のものを、「味一」として出荷していることがわかった。だから、これは、標準的には「まずいはずがない」みかんである。
そして今年に入ってから、「もっといろいろありますよ。『越冬みかん』を送ります」と言って、「越冬みかん」が送られてきた。
これもおいしい。「田村みかん」を超えていた。
みかん一つ一つに、葉が一葉つけられて、摘まれている。これは、収穫して蔵で保管して越冬したのではなく、完熟状態で年を超え、出荷されて間もないことを示すためだ、と聞いた。確かに、数日おいておくと、葉はしおれてくる。
これが、また、思わず微笑みたくなるおいしさであった。
そして、今、「はるみ」である。
これこそ、私のためにあるみかん、と思えた。
甘さはもちろん、外の皮をむいて、中の皮が薄いので、すでに果肉がプチプチ状態で、ほとんど弾けるように開いている。だから、皮ごとそのまま食べなくてはならない。
人生の長い時間を遠のかせていた理由、「面倒くささ」を払拭するために、登場した。
思わず、3週続けてお取り寄せしてしまった。対応してくださったお店が、親切であったこともある。これも湯浅の駅前にある別のお店、「古由(ふるよし)青果」(0737-64-1777 日曜休み)。
「はるみ」はそろそろ終わりかもしれないが、残っていたら一度試されたらよい。
一日何個食べてもよい、誰にも遠慮せずに食べられる幸せ。やっとそんな人生のステージになったことを、しみじみよかった、と思えている。
長くなって、肝心のお茶の話ができていない。かいつまんで言う。
「蒙頂黄貢」。四川省蒙山の黄茶である。昨年春、紹介されて、買って来た。
蒙頂茶の黄茶は、「蒙頂黄芽」である。他の黄茶同様、20年ほど前から、急速に緑茶化して、ほとんど黄茶の特徴がなくなってしまっている。
この「黄貢」は、そんなことを感じとったのか、昔の黄茶を作るやり方で作られた、と聞いた。
ほぼ1年近くたってから、封を開けて、皆さんと一緒に飲んでみた。
異口同音に「おいしい」との声である。「これは、黄茶とは違います」と、今の黄茶しか知らない人は、そう反応する。
時代は、茶の分類のあり様も変えてしまったほど、一回りも二回りもしてしまったのか。
でも、このお茶が黄茶であろうがなかろうが、おいしいお茶には違いない。
今年も、ぜひ買いたいお茶の一つである。