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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2017年5月15日

20年ぶりの再会。諦めていたものに……

――「温州(平陽)黄湯」は、突然現れた


 遠い記憶である。もう20年近くなるはずだ。
 どこで飲んだかの記憶はない。2000年に出版した『中国茶図鑑』に収載されているので、それ以前に飲んでいることは、確かである。おいしいお茶であったので、そのあと、数回買った記憶がある。
 そして、ある時から、たぶん15年以上前から、どこを探しても、このお茶に出会うことはなくなった。現地に行けばあるのでは、と思いながらも、近くまで行った雁蕩山でも、見ることはなかった。
 
 専門家やお茶屋さんにも、何年かにわたり、機会あるたびに聞いてみたが、答えは同じであった。「もう作られていない」というものだった。

「温州黄湯」。黄茶である。
 他の黄茶が、20年前くらいから、年を追うごとに「緑茶」と間違うくらいに、味が変わってきた。黄茶の製造過程の特徴である、「悶黄」ないし「悶堆」という工程が、短くなっていっていった、あるいは回数が少なくなっていることが、想像された。

 そして、10年ほど前には、ほとんど「緑茶」の味、香りになってしまった。
 もともと少ない種類しかない「黄茶」。「黄茶」らしい「黄茶」を口にすることは、できなくなっていた。

 再会は、突然、もちろん前触れもなくやってくる。
 杭州からのお土産として、持参してくれた。
 派手ではないが、落ち着いた箱に入れられている。

「平陽黄湯」の文字が、各所に刻まれている。
 最初に『中国茶図鑑』を書き、しばらくあとの『中国茶事典』を編んだ時、「温州黄湯」の別称、あるいは生産地として、「温州市平陽県」は、記憶に残っていた。
 箱を開けると、綺麗な仕上がりの、素人の私でもわかる「龍泉窯」を模した、青磁の壷が出てきた。模したものとしても、なかなか美しい出来である。

 茶葉は、以前知っている「温州黄湯」よりもっと小さい。一芯一葉ないし一芯二葉の、本当に小さな、ふっくらした芽で摘まれている。
 
 さっそくいれてみるが、水色はわりに薄い。山吹色が、薄く、薄く、透き通るように出る。

 飲んでみる。香りは、奥ゆかしい。主張は少ないが、どこかに豆の香りがする。きな粉の香りかもしれない。
 口に含むと、透明感、しかも角のとれた優しい、丸い、ほんわかとした清らかさすら感じる。甘さが、しばらくの間、口の中に残る。
 なかなかのお茶である。
 久しぶり、10年以上を超えて、「黄茶」らしいお茶に出会えた気がした。

 説明書には、「九(火共)九悶」と書かれている。「悶黄」と「乾燥」が9回行われると、いうことか。でも、9回もやったら、もっと茶葉が黄ばんでいるはずだ。
 いずれにしても、「温州黄湯」の特徴は、「黄茶」の中でも、「悶黄」の時間が一番長い、と『図鑑』の説明に書いたとおり、説明書にもそのことが書かれている。

 おいしいお茶だ。
 2013年に、会社の一部門として茶関連部門を作り、茶葉も生産し始めたようだ。
 作り続けてもらいたい。
 年一回摘みの茶葉を使い、と書かれている。来年、楽しみである。どうしたら入手できるのかが、これからの宿題だ。

京都嵐山 大善のぐじのお寿司の写真 今回の「いっぴん」は、「ぐじ」である。
「ぐじのお寿司」である。
「ぐじ」は、京都のお料理屋さんで、出される時には、特別の重さ、意味を持って提供される。ある意味では、鯛以上の重さを感じることもある。
 しかも、「若狭のぐじ」と、もっと強調されて出されることも多い。
 京都人には、ある意味を持つ、高級魚の代表である。

「ぐじ」は「甘鯛」。京都では、古くから、若狭湾でとれたものを、鯖街道を通って運び、供する。
 写真は、あこがれの「いっぴん」である。京都、嵐山の「大善」で出してくれた「ぐじ」のお寿司である。美しい。

「大善」が、最初に出した円町の店の壁に、名物「鯖寿司」などのメニューとは別の紙で、「ぐじのお寿司 要予約」と貼ってあった。その時から気になっていた。お料理屋さんで出る「ぐじ」のおいしさ。それが、お寿司、ご主人の横山さんの手になったら、どんなものになるのか、興味があった。
「要予約」とあるからには、いつもは仕入れない、ということだ。
 気になったのは、値段である。高級魚として知られている。聞いてみた。
「大きさにもよるが、大きいものだと1万円くらいですかね」と言われた。ちょっと予約するには、勇気のいる値段であった。
 それきり、「ぐじ」を予約する勇気がないまま、店は嵐山に越し、メニューの中にはなくなっていた。

 突然、出してくれた。このところ、特にこちらから注文するわけではなく、その日のいいものを出してくれるのが、常になった。この日は、名品の鯖寿司は、周りの人は食べていたが、その代わりであろう、「ぐじのお寿司」を出してくれた。
 独特の食感である。ぐじの顔は、どう見ても南方系の魚の顔のように思えてならない。身も、すこし柔らかな弾力のある食感である。その上に、とろろ昆布が乗り、背景の磯の香りを演出している。山椒がそえられて、臭みを上品な京の香りに感じさせている。
 そして、ご主人の握り具合というか、巻き具合というか、お米の間の空気感が、「大善」のすばらしさを出している。全てが一体になり、まとまりながら、広がり、奥行きをもたせている。

 やっと出会えた、そして、甘美なお寿司に、京言葉のやわらかな響きを感じさせる、京の味になっていた。「いっぴん」である。
 ぐじの旬は、5月6月。そして11月12月頃という。勇気ある方は、予約をしてみては。

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