2017年6月1日
今年、すでに数種類届いた春のお茶は、どれも、出来がよいものが届いている。
幸せである。
その中でも、「安吉白茶」の出来がすごくよい。
と、思えるのも、ここ15年ほど、ほとんど「安吉白茶」は、飲んでいなかった。かなり主体的に飲むことをよしていた。だから、なおのこと、その「おいしさ」がうれしい限りである。
飲まなかった理由は、簡単である。「高くて、おいしくない」からであった。
生産されるお茶のすべてを飲んでいるわけでもないから、「安吉白茶はまずい」という決めつけはしてはいけないが、15年ほど前、数年にわたって、「こんなはずはない」と思いながら、おいしい「安吉白茶」を探しもとめて、その結果、諦めてしまった。
「安吉白茶」に初めて出会ったのは、1997年か98年の杭州であった。
まだまだ、中国茶を勉強中、というより一種類でも多く飲む、体験中であった。
お付き合いが始まった、お茶の関係の権威たちが、口を揃えて、しかも熱がこもって、「新しく出てきたお茶だ。おいしいから飲んでみろ」と、言って勧めてくれた。
その人たちが誰であったか、今でも何人かを思い出せるくらい、皆熱心に勧めてくれた。
元の中国茶葉研究所所長の程啓坤さん、当時は、浙江樹人大学の教授だったような気がするが、姚国坤さんなど、名だたるお茶の学者たち、茶関係者が、申し合わせたように、強く勧めてくれた。
名前を聞いて、分類上の「白茶」ですか?と聞いた記憶がある。それ以降、同じ質問を何度も何度もした記憶がある。というのも、お茶屋さんによっては、このお茶を「緑茶」ではなく「白茶」だと説明する人がいたからだ。
偉い先生方の説明は、「緑茶」であった。
浙江省安吉は、古くから「安吉白片」という名茶があった。その名前の存在が大きくて、新たに参入してきた新しいお茶が、どれほどなのか、という気持ちもあった。
初めて飲んだ場所も記憶している。といっても、名前は忘れたが、杭州の貿易センターにほど近い茶館であった。程先生、姚先生がなぜか一緒にいた。この時も、飲むお茶は何がお勧めか、と聞いたら、「安吉白茶」といわれて、飲まないわけにはいかなかった記憶がある。
あまり期待をせずに飲んだ。そして、飲んでびっくりした。
その時代、中国の緑茶の極端にいえば半数以上は、どこかにスモーキーな香りがしていた。そのスモーキーな香りは、当時の私には、ちょっと馴染みにくいものであった。
しかし、その「安吉白茶」は、洗練された清らかさ、柔らかさ、そして旨味が口の中に残る、優雅な感じのお茶であった。
確かにこの人たちが進めるお茶だ、と思う一方で、中国のお茶のリーダーたちも、スモーキーではなく、このような洗練された味、香りのお茶を、評価するのだ、というのが、私にとっての発見であった。
「おいしい」と率直な感想を言ったら、別れ際に、「残りが少しだけれど」と言って、安吉白茶をくださった。「高いので、このくらいで勘弁して」みたいな言葉があった気もする。
ということは、その茶館で飲んだ安吉白茶は、持ち込みの茶葉であったのだろう。
早速どこかのお茶屋さんで買った。高かったので、ほんの少ししか手が出なかった。彼らが「高いから」と言っていたな、と思い出した。
次第に、人が「安吉白茶」が好き、という声を中国で聞くようになった。最初に飲んでから、2年ほどたっていた。
お茶の会議に併設して開催される展示会にも、「安吉白茶」のブースが出るようになっていた。そして、それから1、2年して、どこの展示会か忘れたが、「安吉白茶」のブースがたくさん出ていたのに、驚いた。
あまりの多さに、数えてみた。30くらいあった記憶がある。ということは、30のメーカーがこのお茶を作っていることになる。
その中の数件で、テイスティングをさせてもらった。
最初のところでは、飲んで「あまりおいしくない」、と思った。最初に杭州で飲んだ記憶のものとは、比べることもできないほどであった。
でも、それは、このメーカーがよくないのでは、と次のところに行ってみた。テイスティングした、結果は、もっとひどいものであった。
次に、少し離れたブースに行ってみた。結果は、同じような傾向で、あの気品のあるものとは同じお茶とは思えないものであった。
その後、数カ所で同じ体験をし、他に行く気力もなく、ただ疲れて、安吉白茶から遠ざかりたい気持ちになった。
どのメーカーも、「これが噂の安吉白茶だ」「おいしいだろう」「これをわからないのは、お茶の味がわからない奴だ」くらいのことを言う。値段を聞くと、高いことを言う。高いのでは、と質問すると、いいお茶だから高いのだ、と同じように反応する。
結局、一つも買わなかった記憶がある。
それからの数年は、それでも「あのおいしいのがあるのでは」と思って買ってはみるが、ほど遠いものだった。しぜん「安吉白茶」は、飲まなくてもよいお茶になってしまった。
長い不調の時期を脱したように、今年の「安吉白茶」は、最初の感動を思い出させるものであった。そういえば、ここ2年ほど、わりにおいしいお茶が届いていた。
私にとっての「安吉白茶」は、完全に復活した。
「いっぴん」は、まさに「逸品」。すぐれものである。
またまた和歌山で恐縮である。これを使えば、関西の料理人の味になる。おすすめである。
どのくらい前になるだろうか。十年ほどになるか。和歌山市に本店をおく料理店「銀平」。
大阪・北の新地に、「はなれ 銀平」の店を出した。北の新地には、2軒目の店である。
勧められたこともあり、大阪の教室の前、新大阪から直行し、昼ごはんをここで食べて、教室に行くようになった。それは、お昼の「煮魚定食」を食べるためであった。
煮魚は、もともとあまり好きではない。だからあまり食べない。
ここで、隣の人が食べているのを見て、量のすごさにびっくりした。ふつうは、魚の頭を二つに切った一つが出てくる。それが、二つ。あるいはそれに他の部位の煮たものも、おまけで付いてくることもあった。
次回、この「煮魚定食」を食べてみてびっくりした。量だけではない。煮魚嫌いが、おいしいと感じるおいしさである。難をいえば、骨との格闘の時間が長いことである。
それを聞いた知人が、それなら、「これを使って作ってみては」と言ってくださった醤油が、この「いっぴん」である。
だまされたと思って使ってみてください。「銀平」の味になりますから、と言った。
もちろん、料理をしない私なので、妻に作ってもらった。最初は、緊張ぎみに、なるべくプロの技法もとりいれて、と策を弄していた。最初から出来はよかった。
そのうち、次第に技法よりは、なるべく手抜きをして使うようになってきた。これを適当に希釈し、みりんかお酒で味を整えているだけのような気がする。策を弄するのと同じ、おいしさである。
出来は、大阪の煮物、しかも上品な方の煮物の味になる。
そのうち、麺のタレにも使い始めた。ただ、希釈するだけである。それで、そば、うどん、素麺などは、おいしく食べることができる。
手をかけずに、大阪の名人の味に。
「濃口しょうゆ 極」。もちろん、ダシ醤油であるが、その域を超えている。
則岡醤油(有田市)が製造元である。ネットですぐに見つかる。通販もしている。