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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2017年7月1日

「茶友」とは……。

――私に、「茶友」はいるのだろうか


 台湾に春のお茶をとりに行ってきた。
 あいも変わらず、2泊3日の旅である。
 以前に比べたら、お茶の必要量など、ずっと減ってはいるが、個人用として飲むお茶も欲しいとなると、おいしいお茶、おもしろいお茶を見つけるためには、実際にお茶に、人に会いにいかなければならない。
 お茶に限らず、本当においしいものを食べる、入手したいとなると、現地に行くことが一番である。日本においても変わらない。

 どこのスーパーでも売っている、日本中に名品も数ある「釜揚げしらす」。自分のお気にいりの、本当においしいと感じるものは、いくらお取り寄せできるとしても、現地に出向き、その空気に触れながら、作り手と二言、三言、言葉を交わして、ちょっとつまんで味を確かめ、そして買う。そのために、私は和歌山の湯浅まで足を運ぶ。
 私が、「おいしい」と、一瞬の感動を得るためだけでもよい。それを、同じ感動で「おいしい」と言ってくれる人がいたら、その人のためにも、買う。
 感動を共有できる人こそが、人生で欠くことのできない存在ではないか、と気づいた時が、少し遅かった感がある。もっと早く気づいていたら…。
 だから、そのための時間は惜しまない。疲労は、苦にすることはない。

 20数年前、中国茶に魅力を感じて、中国に何度も足を運ぶようになった。最初のころから、初めて会った人、何度か会った人たちに、お世話になったお礼を言うと、必ずといっていいほど、「茶友だから、当然のことをしたまで」というような返事をもらった。
 何度もこのフレーズを聞くから、慣用語のように、通り過ぎる言葉となってしまった。
 というのも、ほとんどの場合、「友」というよりは、どこかに打算や名誉欲や利害が絡んだ関係を感じさせる人が多かった。人によっては、そんなことを言いながら、影で悪口を言うという、日本のお茶の世界でもよく聞く、表と裏をもった人も多かった。

 お茶に限らずどんな世界でもそうだ。とくに、中国の場合は、血縁以外は、「自分の身は自分で守る」「自分を主張する」DNAが、長い歴史の中で、生き抜くために必要なものとして、身体に染み込んでいるような気がする。

 では、私には、中国茶の世界に「茶友」はいないのか、というと、そうでもない気がする。濃さの違いはあるが、かなりたくさんの人がいると思う。
 でも、「親友」のような、漠然とした永遠性を意識した、「思うとそばにいる」近さをもった意味あいの「茶友」は、といわれると、それは数名かもしれない。
 そして、彼らとは「茶友」といわないでも、「友」として、ある場合は「師」という尊敬の念を感じる「友」として、存在している。

「茶」の文字はなくてもよい。ただ、そこまでの「友」になる過程に、「茶」がいつも存在し、媒介していた。「茶」があって「友」になった。しかし、「茶」がなくても、別の出会いであっても、彼らとは「友」になれたと思える。

 今回の台湾には、「師」とも言える一人の「茶友」に、特別の意味あいで会いに行った。
 前回会った時に、「次回持ってくる」と約束したお茶を携えて、訪ねた。
 ・勲華さん。九壺堂主人である。九壺堂は、お茶屋さんだが、お茶屋の主人というよりは、「文人」という言葉が似合いそうな人である。どういう人を「文人」というのか、意味は未だに理解していないが、その言葉が似合う人である。

 30年来の付き合いになるが、私が中国茶を続けてこられたのは、この人がいたからである。
 彼に会うきっかけになったお茶「九壺春」。最初の出会いのきっかけのお茶は、残っていないが、出版社をやめ、お茶を中心に仕事を始める助走になった年、1995年のお茶が手元に残っていたので、それを持って行った。

 もう一つは、「お茶」への概念、持っている神秘性のある力を教えてくれたお茶を持って行った。2001年の冬茶・「禅茶」である。揉捻をしていない、単純な作りをした「高山烏龍茶」である。
 このお茶がなかったら、私がお茶の持っているなにげない力を、自信を持って人に語ることができなかったと思う。
 ともに「九壺堂」のお茶である。

 ・さんの手元には残っていない。どんな状況にあるか、常識で言えば、すでに劣化して、飲むに絶えないお茶のはずである。
 二つのお茶を飲みながら、昔話をし、これらのお茶が常識を超えて、枯れた、不思議な存在感があることをともに感じていた。

 お互いに歳を重ね、病も得、残りの時間も意識の中にあるようになった。
 この二つのお茶を飲みながら、このお茶が今も持ち続ける魅力のすごさに、何かの意味を感じていた。それは、お互い言葉にしないが、わかっている。
 作り手であり、渡す立場であったことに、彼は喜びを感じていた。私は、このお茶に出会えたこと、それをまだこうして、一緒に飲めたことに、喜びを感じた。
 ともに、今のこのお茶に対する驚きと、感動と喜びを共有できたことに、幸せを感じた。
 病を得た彼の顔に、以前の笑顔が戻った。よかった、と思った。

「茶友」と言えるとすると、こういうことを言うのかもしれない、と思えた。

上海ガニのせラーメンの写真 今回の「いっぴん」は、まずお詫びしなくてはいけない。遠く、上海にある食べものである。行かなければ食べられない。
 場所は、上海。これを食べるためだけに、上海に行っても良い、と私は思えるが、そんな思いを持つのはちょっと異常かもしれない。

「ラーメン」である。
 この麺屋さん。メニューは、三品しかない。行った時は、シーズンではないのか、二品しかなかった。「上海ガニのせラーメン」である。
 一つは、「蟹肉肉」。蟹肉が、びっしり麺の上に敷きつめられている。72元。
 一つは、「蟹黄金」。蟹肉と蟹みそが、びっしりと敷きつめられている。306元。金額に間違いはない。日本円にすると、約5,500円超である。とびきり高い。写真は、こちらである。

 こんなに高いラーメン、誰も食べていないのでは、と心配したが、けっこう皆食べている。
 以前、十数年にわたって秋から冬に「上海ガニ」フルコースを、上海に食べに通っていた経験でいくと、これは、決して高くない。
 フルコースを食べるのと同じくらいの満足感がある。フルコースに比べたら、安い。フルコーズを食べないでも、これで満足できる。
「蟹家大院」。店名である。上海に数店、店を持つという。
 この二つ、どちらも、おいしい。思い出しただけで、食べたくなる。

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