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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2017年10月1日

スペイン・バスクから「おいしさ」の永遠を考える

――10/8。指導者としての私は、テストされる


 8年ぶりにスペイン・バスクの中心地、Bilbaoに行ってきた。
 前回行った時は、「食都」として、「ブレンチ・バスク」(隣接したフランスのバスク地方)とともに、「スペイン・バスク」が、世界から注目を集め始めた頃であった。
 とくに、San Sebastianは、「美食の街」として、日本にも知れ渡ってきた頃である。スペイン版のミシュラン3ツ星のレストランが、この街や近郊に集中していたこともある。なぜか、男ばかりでクラブを作り、機会あるたびに集まって、自分たちで食事を作り、皆で食する「美食クラブ」があることでも、知られていた。
 市街に軒を連ねるBar(バル)で、今や世界中の食文化になったPintxos(ピンチョス)が初めて出された、ということも、世界中の食通の話題になった時代であった。

 当時、行く前に、スペイン人の友人二人と東京で食事をする機会があった。
 一人は、スペイン南部のセビリアに住んでいる。一人は、同じくセビリアに住んでいるが、バスク州の中心地Bilbaoの出身である。
 バスクの白ワインTxakoli(チャコリ)が、スペイン・ワインの原産地呼称(D.O.)を取ったこともあり、そのワインのことを聞いてみた。そうしたら、仲の良い二人が、全く異なる反応を示した。
 Bilbao出身の彼は、「よくぞ聞いてくれた。日本ではほとんど知られていないが、おいしいよ。興味あるのか?」と嬉しそうな顔をした。
 もう一人の彼は、「あんな石油みたいな、臭いワイン」と、顔をしかめた。
 その反応のあまりの差に、よくわからないまま、San Sebastianに4泊、Bilbaoに3泊ほどした。

 その時、Bilbaoで、友人が紹介、手配をしてくれたBilbao近郊のTxakoliのワイナリーで、その製造過程を見せてくれた。それまで、San SebastianのBarで、飲んだTxakoliよりもおいしかった。
 そして、もう一人、Bilbaoで注目のPintxosの作り手、Bitoque(ビトケ)に会った。友人の手配であった。彼のBarには、滞在中3回か4回も行くほど、衝撃的なおいしさであった。彼がイギリス人であること、そして修行先のBilbaoで、奥さんと出会い、そのまま二人で店を開いたことも聞いた。

 奥さんは、彼の二軒になったBarの、古い方の小さな店で切盛りをしていた。私は、彼と会った新しい店よりも、奥さんのいる店の方が、他のお客と肩が触れ合いながら、外にまで人が出て、飲み食いしている方が、現地らしく感じて、何度も通った。
 彼は、それまでのバスクのPintxosを、より自由に、いろいろのトライアルをして、新しい味を作っているのだ、と熱く語っていた。
 その通りであった。
 San Sebastianよりも、水準の高いPintxosがBibaoにあることがわかった。

 そして8年後の今年、今回はBilbaoだけに6泊した。
 前回で、Pintxosを食べるなら、San Sebastianに行かずとも、飛行機の便が良いBilbaoでよいこともわかっていた。
 ただ、昨年あたりから、「Bitoque」をネットでいくら調べても、過去の情報はあっても、出てこなくなっていた。彼からもらった名刺のアドレスも、繋がることはなくなっていた。

 セビリアに住む友人が、ちょうどBilbaoに帰っているというので、一晩会って、Barを2軒案内してくれた。
 彼らのBarとPintxosの関係は、仕事が終わって、立ち寄って、Pintxosを一つ、二つつまみ、Txakoliを一杯飲んで、次のBarに行き、同じようにして、家に帰り、食事をする、というような使い方である。
 私たちにとっては、美味しそうに並ぶPintxosから、指さしで4つ、5つ食べ、Txakoliを一杯か二杯飲んだら、十分満足した夕食になる。お昼のご飯も、店ごとにPintxosの種類は違うから、同じように食べても、飽きることはない。
 ということで、滞在中、10数軒のBarで、昼食・夕食、時には朝食をとって、一つも同じPintxosを食べずに過ごした。

 だから、3つ星レストランの一人200ユーロは覚悟しなければならないのと違って、一人一食10から15ユーロ。食事代も安くあがった。気持ちは、大満足であった。

 Bitoqueは、すでになくなっていた。友人がいうには、ご主人がなくなったと聞いたという。以前通った店にも行ってみた。店のつくりは同じであったが、そこは名前が違う店になっていた。そして、あの外にはみ出した人の喧騒も、なかった。静かであった。

 しかし、彼のやったことは、今のBilbaoのBarのあり方、Pintxosのあり様に、生きていると思った。
 8年前に比べ、Bibaoの街、建物は、古さは古いままに綺麗になり、市電(トラム)や郊外に伸びる地下鉄も整備され、観光都市として、非常によい形に成長したと思った。
 寂れた街を生き返らせるために、ニューヨークのグッゲンハイム美術館を誘致し、高層タワービルの設計を国際コンペで行なって、磯崎新が勝ち、「イソザキ・ゲート」として話題を呼んだ。
 
 そして、今は、食都としての評価を裏付けるように、Barの数も増え、供されるPintxosも、しのぎを削りあうように、質の高い、それぞれの店が工夫をこらしたものを提供している。
 定型的なPintxosに留まることなく、新しい発想と、組み合わせの小品で、魅力を増している。そこには、8年前に会ったBitoqueの熱い言葉が、発展し、広がり、花開いているように思えた。

 そして、その基礎に貫かれているものは、「おいしいことが当たり前であること」、そのために「おいしさへ努力すること」があるような気がする。バスクという風土、人が文化として、歴史を超え、ずっと継続しているような気がする。
「おいしさ」ということが、食文化を継続させる原動力であり、言葉にする必要もない、血となっているからこそ、続いているのかと思う。

 翻って、中国茶の世界で考えると、今、私たちのまわりの中国茶は、この「おいしさ」という意識を土台において、進んでいるかというと、必ずしもそうではない気がする。今ある姿は、流行として、いずれ消えゆくことになるのだろうか。
 どうということではない。身構える必要もない。気楽に、「おいしくお茶をいれる」、そして「楽しむ」、という簡単なことこそが、歴史を超える永遠に続く道であることを、バスクの「食」が教えてくれているような気がする。 前回、スペイン・バスクの「食」の繁栄のお話をした。
 その後、私の行ったBilbao(ビルバオ)の北側から、海岸線沿いに東の一帯Getaria(ゲタリア)と呼ばれるエリアに行ってきた人が、帰国して報告してくれた。
 Getariaは、そのすぐ東にある都市San Sebastian(サン・セバスティアン。バスク語の地名Donostiaが、現地では先に使われている)が、あまりにも有名な食都として、世界中から人が来るので、影に隠れている。が、ここのエリアのレストランも、おいしさで紹介されることが多くなってきた。
 前回紹介したスペインワインのD.O.「Txakoli(チャコリ)」の中にある、二つの地域の一つとして、知られるようになった。少しだけ、発泡を感じるTxakoliである。

 その方の報告も、事前の予想を超えて、満足の毎日であったことがわかる。いつもは静かだが、少し熱をおびていた。
 同感できる。私も、今のBilbaoの食を語る時、同じように熱く語っているに違いない。
 評判で訪れても、失望の方が多い食の世界。少なくとも、その方と私とは、予想を超え、そして、皆にも伝えたいという気持ちが湧き出てくる。そんな、スペインバスクの食の今である。
 それは、8年ほど前よりも、ずっと洗練され、グレードアップされていることにある。

 翻って、中国茶のことを考えた。
 最近、そんなバスクの食への思いのように、気持ちを高ぶらせるお茶に、そういえば出会っていない。いつ頃からだろうか。

 小さな興奮のお茶はある。ある場合は、そのお茶の持つストーリーの場合もある。
 たとえば、ちょうど一年前。台湾に「午時茶」と名付けられたお茶が、出た。それはおいしいお茶である。が、むしろストーリーがあって、よりお茶がより印象に残るものであった。
 
 中国で、一年中で一番「陽」の気が盛んになるのが、端午の節句の正午だという。その時、水を汲み、「午時水」として飲み、無病息災を祈願するという。
 昨年、台湾・阿里山の茶農家は、80人を動員して、端午の節句12時から14時にいっせいに茶摘みを行い、烏龍茶に仕上げた、という。

 昨年の端午の節句は、6月9日。台湾のお茶のシーズンは、春茶が終わり、夏茶になる。よいお茶を作る場合は、摘む時期ではない。それをあえて「陽」の気、そして無病息災の願いを込めて作ったお茶である。
 そのお茶は、そのストーリーが、忌み嫌う夏茶を超えて、お茶のおいしさを何倍かにおいしく感じさせるものになった。

 以前には、ストーリーはなくとも、「こんなおいしさがある」と熱っぽく語り、ご一緒に飲むお茶があった気がする。
 いれ手の側が、慣れっこになってしまい、新鮮さがなくなって、熱く語れなくなったのであろうか。
 中国茶がまずくなったわけではない。
 相対的には、この5年くらいで考えても、おいしさの水準は上がっていると思う。ふつうに、お茶屋さんで買うお茶は、おいしくなっている。

 飲んで感動を得、その感動を語り継ぐことできるようなお茶。それには、以前にも増して、「おいしさ」の強い印象が必要な時代になっているような気がする。
 ストーリーだけ、いれるしつらえ、風景だけでは、そう続きはしない。

 ただ、お茶の場合は、作り手の良さ、水準の高さのおいしさだけではだめである。いつもいうように、それを、「おいしい」と感動させる「いれ手」の技が必要である。
 その意味でいくと、中国茶の永続的なファンを得るには、ますます「技」をもった魅力ある「いれ手」の存在が必要な時代になったともいえる。

「いなかのおばあさんの打ったそばが食べたい」、といわれるような「おばあさん」の存在が必要なことに、周りはあまり気づいていないのではないか。
 その「おばあさん」は、誰からも教えられることなく、魅力的なそばの打ち手になったのだ。
 教育、あるいは教える・教えられるということは、おばあさんのような何十年かかる経験からくる「技」の取得を、時間を少しでも短くするためにある。
 あるいは、過去にあった失敗をしないことを示すことで、完成までの道のりを、短くすることになる。

 10月8日。故あって、登場することを数年前から断ってきた「エコ茶会」で、セミナーをやることになった。
 テーマは、「お茶をいれること」である。今までの、教えた経験からの集大成である。

 すべての物事がそのような気もするが、教える要諦が「わかった」頃には、教える現場からは遠くなっているものである。
 一般の方へお話するチャンスは、最後かもしれない、というつもりである。
 だから、むしろお話する私が「試験」されるやり方を選んだ。
「公開レッスン」である。その場で、初対面の教わる方々が変身しなければ、私は落第である。
 いかに「おいしいお茶」をいれることが、一生のお茶との、あるいは飲み手との絆を繋げていくことになるか、それを伝えることができたら、と思っている。

キャンベル・アーリーの写真 今回の「いっぴん」。写真のように、店舗である。福岡にある。
 店の名は、「Cambell Early(キャンベル・アーリー) http://nangoku-f.co.jp/store/」。ご想像のとおり、フルーツを中心の、「甘い」もののお店である。
 博多(福岡)駅の博多口側に立っている駅ビル(アミュプラザ博多)の9階の、食堂街の一角にある。ごくふつうの店である。

 ここの「パフェ」である。
 シーズンによって、変わる。代表的には、「あまおうパフェ」。今のシーズンであれば、栗、ぶどうなどの「パフェ」。ちょっと前には、マンゴーの「パフェ」といったぐあいである。
 そのボリュームも大満足である。一人ではちょっと食べきれない分量にも思えるし、健康に良くあるはずはないが、食後に行っても、思わず完食してしまう。
 値段は、それなりに高いような気もするが、東京の高級果実店の「パフェ」よりは、ずっと安い。

 私は、機会あるたびに足を運ぶ。未だ裏切られたことはない。
 この手の食べ物を得意とはしない私でも、どうにか時間を工面して、寄る店である。ちょっと子供じみている、女性の世界の食べ物のような気もするので、周りには何とか口実をつけて、必ず寄る店である。

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