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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2017年12月15日

「徑山寺つながり」が、湯浅を近くした

――「醤油」「味噌」そして「茶」


 また、湯浅に行った。
 和歌山県湯浅町である。「また、和歌山」、と言われそうだが、私の和歌山詣では、もう誰にも止められない。
 今回は、「しらす丼」を食べに行った。たかが「しらす」ではあるが、その奥の深さは、湯浅に行くようになり、そして、周辺も含め、いろいろの製造店を回って、わかったことである。
 どうしても、湯浅の、しかも、名前を書けない「商店」(湯浅のしらす製造・販売業は、「商店」がついているところが多い)のものが、私にとっては、「日本一」である。

 お茶と関係ない、といいながら、今回は一つだけ関係あることを持っていった。
「徑山寺」である。「徑山寺つながり」といった方が、正確だ。

 中国茶をやっている人の中では、わりに知れ渡ったが、日本の茶事が伝わった元の一つは、浙江省の「徑山寺」からである。もちろん、栄西が茶と喫茶の習慣を持ち込んだが、それを追うように、もう一人の僧が、徑山寺から伝えたことは事実であろう。
 のちの聖一国師、円爾(えんに・入宋1235?1241年)が、1237年から1241年まで徑山寺で修行ののち、禅寺でのお茶の扱い、生活習慣について持ち帰ったものと思われる。
 帰国後、福岡の承天寺を開山し、そののち京都の東福寺を開山する僧である。今の茶事の原型のような形で催される「四頭(よつがしら)茶会」は、栄西が開山した京都・建仁寺だけではなく、東福寺においても、円爾の命日には行われていると聞く。

 徑山茶は、銘茶として、今でもその地位を不動にしているが、徑山寺の寺内の茶畑で作られていたものが、今はこの地域一帯に広がって作られている。

「徑山寺」で、修行した僧の中に、「覚心」という僧がいる。
 湯浅に行って、醤油の誕生の歴史を、あちこちで見ることになる。
 その説明をかいつまんでいうと、覚心(入宋1249?1254年・法燈国師)が、宋に渡って各地での修行の中、徑山寺での修行のおり(徑山寺には、1249?1950年滞在=『徑山史誌』(浙江大学出版社)による)、「?(ジャン)」の製造技術を取得し、持ち帰った。それをもとに、湯浅において醤油が作られ、味噌は「金山寺味噌」として生産され、現在に至っている、という説明である(()内は、著者注)。

 また、醤油の老舗「角長」における説明は、徑山寺で「味噌」の製法を学び、江蘇省鎮江・金山寺で、「豆と塩を和した食品」の製法を学び、持ち帰った、としている。
 今の中国でいえば、中国醤油はあるものの、彼が学んだものは、「豆板醤」「豆鼓醤」などの「?」に近いものであったような気がする。
 そこから、日本の醤油が誕生し、また、湯浅を中心に「金山寺味噌」が作られていった、と思える。

 数年前までは、和歌山でも、「金山寺味噌」と商品名を表記したものがほとんどだったが、最近では、「徑山寺味噌」という商品表記も目立ってきた。
 どちらも、覚心が持ち帰ったものから生まれたもの、としての表記である。中国語での発音は、「金=jin」、「徑=jing」で、ほぼ同じ音で聞こえる。

 覚心は、宋に滞在した5年の間に、いくつもの寺を巡っていたことは、各所の説明で見る。徑山寺には、1年いたことはわかるが、「金山寺」にどのくらい留まったのかは、わからない。
 ただ、金山寺のある鎮江は、中国最大の黒酢(中国では「醋」)の産地である。発酵食品のメッカが、覚心が訪れた時からそうであったかどうかはわからないが、何かの縁なのだろうか。

 覚心は、和歌山県由良町にある「西方寺」に1258年に招かれ、それを期に開山される。のちに「興国寺」となり、現在もある。
 西方寺で、人々に味噌の製法を伝え、湯浅で醤油が誕生することに繋がっていく。
「由良」は、紀勢本線で「湯浅」から南に2駅のところにある。
 
 ここまでの繋がりを調べるきっかけは、以前から「金山寺味噌」は、「徑山寺味噌」が本来ではないか、と15年ほど前から思っていた。数年前に湯浅の「角長」に行ったときに、醤油の誕生は、徑山寺から持ち帰った、という説明を見て、調べてみたい気になった。

 その時、角長の社長夫人とお話をして、確か『徑山史誌』の中に、徑山寺で修行をした日本人僧の説明があり、そこに「覚心」の名を見たような気がしたので、もし見つけたら、次回にそのコピーを持ってくる、と約束した。それを今回、果たすことができた。

 ちなみに、角長のお醤油もおいしいが、前回ここで買った、醤油味の「あられ」(せんべい)と、「飴」がおいしかった。今回も、「あられ」を買い求めたが、「飴」は作っていたご老人がなくなられて、もう買うことはできなかった。

 これだけ、歴史の興味を起こさせてくれたのも、「徑山寺つながり」の賜物である。湯浅が近くなった、もう一つの理由である。

「山椒羊羹」の写真 今回の「いっぴん」は、重ねて、和歌山のものだ。
 昨年、登場したものである。一度は、もう味わうことはないかもしれない、と半ば諦めていたものである。

「山椒羊羹」。和歌山駿河屋総本家のものが、12月から期間限定で再登場した。
 昨年、駿河屋が、地元のラジオ局と共同企画し、和歌山の特産品を使った羊羹を何種類か作って、売り出した中の一つであった。
 食べる前は、「山椒」と「羊羹」、どんなマッチングなのか、不安がよぎった。

「山椒」が和歌山の特産、と聞いて、頷ける人は、相当の和歌山通か、山椒好きである。和歌山の有田川町を中心に、最高級の「ぶどう山椒」が産する。

 この羊羹、最初に食べた時は、驚いた。予想をはるかに超えたおいしさであった。
 適度な羊羹の甘さの中に、軽く刺激を与えるように、山椒のピリッとした感じが、柔らかく残る。どちらも、キツくならず、柔らかく収まっているところが、おいしさの基本にある。
 
 昨年は、早速、購入したくて、駿河屋に電話を入れた。
 好評で、予想より早く売り切れてしまった、とのことであった。タイアップ商品なので、来年作るかどうかわからない、という返事であった。半ば諦めていた。

 そして、12月。気になって駿河屋のホームページでチェックした。12月から期間限定で発売をするという。早速、購入した。
 おいしい。昨年と変わらない。一度は、この絶妙のマッチングを体験されたい。たべる前の不安を払拭する「いっぴん」である。

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