2018年1月1日
年初になると、「今年の目標」といって、小学校でもよく書かされたりした。
学年が下のころは、何も浮かばず、でも真剣に考えて、何かを書いた気がする。学年が上になるに従って、なんとなく大人が心地よさそうなことを書くことを覚えた。しかも、毎年同じでかまわないことがわかると、考えることをしないですませた。
今までの人生を振り返ってみて、「目標」やそれに向かって実現する努力とは、無縁の生活を送ってきた。
「成りゆき」、「場当たり」の人生であった。
それでも、どうにか、会社という組織での生活や、独立してのち、個人で活動をすることができてきたのは、「運」としかいいようがない。
人に助けられた。時代、状況に助けられた。
極端なことをいうと、時代が決めた状況の中を、人が決めてくれたことを、そのまま歩んできただけのような気がする。私は、その流れに乗っていただけである。問題・課題があっても、人が対応を示してくれたし、時代が教えてくれた。
その意味で、「よい時代」を生きてこられたと思う。今の時代では、難しいような気がする。
これからの私の人生は、その反動でたぶん厳しい人生になるように思う。
すべてのことにおいて、人生の終わりに収支決算ゼロが、私にとっての理想だが、そんなにうまくいく人生などありはしない。もしそうであったら、必死に努力して人生を送っている人に申しわけない気がするし、そうあってはならないことだと思う。
お金持ちではない私のような人間の常だが、「幸せ」は、お金でも、地位でも、名誉でもない、と思っている。そう思わなければ、お金など残せる才覚も、行動力もない人生を、解決しようがない。
「足るを知る」ことで、あるいは「思いやり」や「気配り」をすることで、どんなステージでも、人は「幸せ」になれると思う。
争いは、つらい。
でも、世界からは戦いはなくならないし、世の活動は、争うことで、できている。経済活動しかり、スポーツ競技しかり、受験・入社試験・出世しかり、お金を稼ぐことには、影になり日向になり、争いの影は離れない。
だから、気づくか、気づかないか、知らないままに、争いの中からは、逃避者が出てくる。「競争」から逃避すること、あるいは参画しないことが、自分の身の置き方になってくる。
若者の中にある固まりで、「会社に勤めない人」、「車やブランドものに興味がない人」などが増えていることを、ずっと上の世代から見て理解できないのは、このことに由来しているのかもしれない。
種の個体が多くなりすぎると、海に向かって集団自殺をする鼠がいる話は、昔聞いた。それと似たように、無意識の中に、社会からの外れを宣言し、世の成功の証となるものに価値を感じない、そんな世代が増えるのも、人間の性(さが)としての「争い」を避けたいことに起因しているのかもしれない。
「目標」のある時代、戦後の復興期だったり、量を生産することを目標にできる時代だったり、質を高めることを目標にできる時代は、この「争い」の性こそが、プラスへの、実現への原動力であった。
しかし、成熟し、「目標」が見えない、あるいは立てにくい時代になって、残された「争い」「競争」ということしかない、それしか目標とせざるをえない時代になってきたのだろう。
その虚しさ、嫌な結末は、つまり関係のない人を巻き込んだ多くの死である。人の歴史の中で、何度も何度も見てきたはずなのに、また人は歴史に学ぶことを忘れてしまったようだ。
つまり、行き着くところまで行き着かなければ、気づかないのだろう。そうすれば、オールクリアして、「目標」を定めることはできる。
もともと希望など持てない老後を、もっと楽しくない老後を過ごさなくてはいけない。
つくづく「よい時代を生きた」ツケを、予感せざるを得ない。ただ、社会の前線にいないだけよかったが、前線にいる人たちは、大変だ。ずるい言い方をすれば、その当事者でなくてよかった。
そんな時代は、一人でも楽しめる、もっといいのは、人と一緒に楽しめるものを持つことが、時代の成功者とまではいかなくても、どんなサイズの集団においても、その人の生きる「場」が見出せる。
そんな目でまわりを見てもらうとわかるが、「食」は、今時代の中心の一つであり、その評論家とか料理人たちが、ヒーローとして評価される時代である。
一人で食べるおいしい食事もよいが、心許せる人たちとの食事は、もっとよい。
私には、幸い、中国茶がある。いささか飽きてきたのは否めないが、やめようとして、なかなかやめさせてくれない、中国茶がある。
そこに人がいる。おいしいお茶がある。
このことを大切にしなければいけない、と思っている。私にとって、ボケるまでは生きたくないが、その前までの老後の人生は、お茶と人で決まである。
いい人たちと、おいしいお茶と、一緒の人生が、「目標」として見えてきた。
年初の「いっぴん」は、「ブリの握り」である。
昨年の10月下旬、函館「はる鮨」で10数年振りに、すばらしい「ブリ」に出会った。
子供の頃から、途中抜けた時間はあるが、60年食べ続けていたお寿司屋さんから、10年ほど前から遠のいた。その理由は、函館の寿司のよさを象徴する、ネタと握る技術の直球勝負のお寿司が、そこでは食べることができなくなったからだ。
以来、地元の人に聞き、ことある度に調べて行ってみるが、無理であった。ある水準はあるが、私の「幸せ感」「感動」を呼び起こすものではなかった。
心のどこかに、直球勝負の寿司を求めるものがあった。
人から紹介され、昨年10月に行って、「幸せ感」「感動」が再び呼び起こされた。そこで供された「ブリの握り」は、絶品だった。
もちろんネタの良さだけではダメ。握りの技術があって、はじめて、口の中でとろけるような、しかも嫌味のない世界が広がる。大間のマグロのトロなどを、超える世界を実感できる。
東京に戻って、すぐに予約の電話を入れた。「もう食べることができないかもしれない」と真剣に感じた。
そして、再び出会ったのが、写真のものである。
同じ、「感動」そして「幸せ」の波が、口の中にとろけ、広がった。
もちろん、ブリ以外も、直球勝負のお寿司はおいしい。「はる鮨」(0138-22-8655)に、機会あるたびに通うことになりそうだ。