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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2018年9月1日

「時代はめぐる」中国茶B

――中断、復興した「平陽黄湯」「六堡茶」など


 ここ2回、私が体験してきた中国茶の変化を、象徴的な二つのお茶で、紹介してきた。
 変化は、中国茶を代表する二つのお茶だから起きたわけではない。限りなく、と思われるほどあるお茶の、少し有名であるお茶を核として、数限りなく起きている。
 ずっと前に書いた記憶があるが、そのたびごとに茶名が増えていっている。もう覚えることが無意味なくらい、増えている。

 復活してきたお茶もある。これも、前にも書いたが、浙江省平陽で復活をし、大評判となっているお茶「平陽黄湯」である。黄茶「温州黄湯」が、一度生産が途絶え、そして復活した。
 もともと、温州地域の中で、平陽や泰順などで作られていた黄茶を総称する形で、「温州黄湯」の名称で市場に出されていた。
 その中の平陽で、黄茶が復興して作られ、名前も「平陽」の名前になった。
 消滅と復興は、ほんのここ15年ほどの中で起きたことだ。

 同じ消滅、復興を目にしたのは、「六堡茶」もそうである。これも、20年の中の数年のブランクで、起きた。
 広西壮族自治区蒼悟のお茶だ。復興以降、中国の陳年茶ブームに乗る形で、見事すぎるくらいの拡大が起きている。
 作られなかった数年間、それがいつであったか記憶が曖昧で、ご紹介できないが、理由は、「売れない」ことによるメーカーの閉鎖であった。

 そこから、復興したのは、何度目かのプーアル茶ブームを背景に、幾つかのメーカーが参入して、陳年茶を軸に、マーケッティングを繰り広げた。地域内での競争、そして、外部での他の陳年茶との競争をテコに、復興のマーケティングは、成功した。
 その中断していた(作られていなかった)と思われるヴィンテージのお茶も、売られている。どうなっているのか、ここでも魑魅魍魎の世界である。

 何度も書いたが、プーアル茶じたい、雲南省の産でありながら、飲まれていた(売られていた)
のは、香港や広東省だけであった。当時、雲南省では、緑茶が常飲されている、と聞いていた。
 上海などの大都市や、杭州などのお茶の中心地で、プーアル茶など茶舗の店頭には置かれていなかったし、扱おうなどというお茶屋さんも存在しなかった。
 もちろん、香港や広東省以外の多くの一般人は、「プーアル茶」という名前、存在すら知らない人がほとんどであった、といっても過言ではなかった。

 それを変えたのは、消費者である。
 きっかけは、中国建国後たぶん初めて起き、数年間続いた「健康茶プーム」である。
 20数年前、それでなくとも食事中に皆が「本草学者」のように、「これは何に効く、こっちは何の予防になる」と話題になるのが、日常茶飯である文化を背景に、お茶の健康への効能が、あるいは、「痩せる」ということを目指して、お茶が取り上げられ、ブームになった。

「痩せる」、を目指す、ということは、「太る」という現象がなければ、大衆の動きにはならない。中国が豊かになっていく過程の中で、そのブームは必然のように起きたに違いない。

 まず、「苦丁茶」のブームが起きた。
 これも、一部の人しか知らない飲み物であった。
 銘茶としての文献の扱いは、「富丁茶」であり、1900年代の初頭にある日本人旅行者の記述の中にも、海南島では、苦い苦いお茶が常飲されていることへの驚きが書かれているのを、昔どこかで見た記憶がある。
 古くから飲まれているらしく、唐代には「瓜廬」などと呼ばれ、宋代に「富丁」や「苦丁」などと呼ばれた木の葉であると、説明されていた。大きな葉で、一葉だけで十分すぎる苦いので、別称を「一葉茶」ともいわれていた。

 雲南省で売られていた、とその当時、お土産にもらったこともあった。ブームになる前から、一部ではあるが、わりに広い地域で扱われていた。
 皆は、血圧に効くとか、お茶でいわれるたくさんの効能を並べて、好きな人は飲んでいた。もちろん、「痩せる」ということも言われていた。

 そして、初めてのブームにこのお茶は登場し、全国区になった。
 お茶が、お茶屋さんやお茶の店舗以外の場所で、コーナーが設けられ、大々的に売られ始めた。百貨店のようなところでも、通路などの一角で、大きなPOPを掲げて売られた。

 同時に、大きな葉ではない、小さな「苦丁茶」も登場した。四川省、安徽省、浙江省でも作られている、と聞いた。たしか、杭州の農業科学院の茶葉研究所で茶木を見せてもらったが、潅木の小さな木であった。
 大きな葉を好む人、小さな葉の方が効く、と主張する人など、「痩せる」を旗印に、売れに売れた。
 テレビの広告解禁など、情報の一般化が進んだのも、この時期と重なる。

 だが、「健康ブーム」の常であるが、長くは続かない。一年は持たなかったろう。いつの場合もそうだが、ブールは賑やかに登場して、人に知られないような静かさで消えていく。
 そして、すぐ次が登場する。
 それが、「プーアル茶」であった。

 そして、「プーアル茶」は、「健康茶ブーム」の第2弾として、登場し、これをきっかけに、名前は一般人、全国に知れ渡った。15年ほど前の話である。
 扱ってなかったお茶屋さんにも置かれるようになり、プーアル茶専門の茶舗も、たくさん誕生した。
 しかしこのブームも2年くらいしかもたなかった。茶舗での扱いスペースは激減し、専門店もほとんど店を閉めた。
 しかし、このあと、「プーアル茶」は、何度もブームを起こした。10年くらい前のヴィンテージの第二次ブーム、そして少しの落ち込みがあって、数年前から有名産地を全面に出した第三次ブームとあり、それがまだ続いている。「健康」を軸にしない、「価格の高さ」「商品の貴重さ」などを絡めてのブームである。

「六堡茶」は、プーアル茶の第二次ブームを受けて、黒茶ブームの一角として、その拡大につながっている。
 その時のブームの副産物は、他にもある。「白茶」の固形茶の登場と、白茶の陳年茶の市場化、といった流れにもつながっていく。 

(続く)

ジャンドゥイオットの写真 今回の「いっぴん」は、函館のイタリアンドルチェの店「チッチョ パスティッチョ」の「ジャンドゥイオット」である。イタリアの代表的なチョコレートであるが、「船がひっくりかえった形」の独特の形状で、広く知られている。
「ジャンドゥーヤ」で呼ばれることが多いが、この店では、もともと誕生した名前で呼んでいる。
 日本では、ひと時代前、輸入されているものが高価であった。イタリア好きが、好んでそれらしく気取って食べていた。
 私にとっては、ちょっと甘さが勝ちすぎていて、それほどの興味を覚えるほどではなかった。
 このチッチョ パスティッチョのジャンドゥイオットを食べて、いっぺんにこのチョコレートのファンになった。甘さもしっかりあるが、ほどよい。ヘーデルナッツとのバランスも絶妙である。
 イタリアンドルチェとしては、日本でも有数のパティシエだと、私は思っている。
 とうの昔に、ここで取り上げていたつもりであったが、まだなかったのに気づいた。
 ケーキも、クッキーも、おいしい。毎年、皆さんと一緒に秋の終わりには「タルトタタン」を作ってもらい、取り寄せているほどである。
 このジャンドゥイオット。冷凍でも送ることができるので、取り寄せ可能である。
 チョコレート好き、甘いのが苦手な方でも一度食べてみる価値はある。ビターとミルクと二種類あるが、どちらも甲乙つけがたい。

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