本文へスキップ

コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2018年10月15日

総まとめ・中国茶と私と ②

――「茶藝」と私のお茶との違和感とは‥‥


「喫茶去」という言葉、お茶関係者なら、中国でも、日本でもよく見かける。
 でも、説明されても、あまり頭には残らない。だれもが、「まあ、お茶でもめしあがれ」くらいの意味だと、説明する。「去」とついているので、「飲んで帰りなさい」ということかと思うが、禅の領域では、「去」は強調する語であるので、「帰る」意味ではない、と説明することが多い。

 そのとおりで、それ以上でも、それ以下でもないだろう。禅問答から来ていると聞いて、調べたことがある。調べて、別のことに興味をもったことを覚えている。
 中国、唐代の禅僧の言葉であった。趙州禅師という人らしい。778年生まれ、897年までの生涯と、調べると出てきた。
 120歳生きた人であることに、驚いた。いくら中国でも、唐の時代に、そんなに長生きできた人がいるのかどうか。調べていての興味が、違う方にいってしまった。

 30年ほど前から台湾発で広がりはじめ、アジア圏各地で、家元のようなリーダー達が登場し、そのうち、中国で国家資格までが作られ、そして、その類似資格まで登場してきた「茶藝」。ずっとずっと気になってきたし、ある距離を保ち続けてきた。
 うまく説明できないが、どうしても「茶藝」には違和感を保ち続けてきた。

「お茶のいれ方」クラスと名を打ちたいが、「茶藝」と謳わないと、みなさんから「わかりにくさ」を指摘され、ずっと「茶藝」と表記して、クラスを20年以上続けてきた。気持ちの上では、「茶藝」を教えているつもりはなく、「機能美」のある「おいしい」、「その人らしい」お茶のいれ方を教えることを心がけてきた。

 今でも、「茶藝」と私との違和感は、うまく説明できない。
 そういっても、「茶藝」を否定しているわけではない。その存在は、認めている。そういうお茶の表現・接し方があってもよいし、楽しみ方があってもよいと思っている。
 ただ、私と中国茶の関係とは、「茶藝」は違う存在である、ということだけは確かだ。ずっとそうであったし、たぶんこれからもそうであろう。

「茶藝」は、「様式」やその「表現方法」を、そのリーダーのものを絶対とすることで、成り立つケースが多い。スタートにおいて、台湾のリーダーたちが、日本の家元制度に影響を受けてスタートしたことにも由来すると思う。
 リーダーたちは、自分の様式や表現方法が唯一のものでなければならない。違うものは、「異端」であり、そのグループからは排除される。
 リーダーは、その絶対性こそが、グループを束ねる権威の源であり、それをよりどころに、グループの拡大を試み、社会的な存在を誇るようになる。
 そこに資格制度を持ち込むことにより、経済的な拡張も容易にすることができた。

 芸術性、文化性を謳いながら、一方では、考え方、表現方法の同一性を保つようにする。じつはそれに固執しなければならないのは、経済的な事情に由来することが多い。もちろん、社会的知名度の高揚への目的もある。

 それを受容する側には、かなり国民性やその民族のもっている文化的特色、あるいはその時代を支配する流れのようなものもあると思う。
「枠にはまる」ことの安心感、ある集団の中での「同一性の行動」への安心感、あるいはグループから「外れることへの危機感」のようなものが、それを後押しすることもある。

 日本における家元制度を支えてきたものの土台の一つには、このこともある。
 以前、文化人類学者や社会人類学者は、それは日本の農耕民族の社会制度からくる特性と説明した。
 最近でいえば、個性的なファッション性が進んできた一方で、「指示待ち世代」の広がりや「ママ友」が大きな勢力になっていることなどを考えると、グループへの帰属性への回帰、同一性への依存、といったことは、この民族性を現していると、とらえることができる。

 中国では、「茶藝」の資格取得に関しては、すでにピークを過ぎ、低迷期に入ってから久しい。韓国と日本からの取得が、この制度を支えている部分も見受けられる。
 あるいは、アジア圏を中心にしたリーダー達が、それぞれの流派に似たグループを、拡大させるように活動しているが、そのリーダー達の数も限られている。
 リーダーの数の伸び悩み、あるいは減少は、逆に、彼らの活動を、大きく見せ、注目されるように受けとめることもできるが、それを支える層の人口は、伸び悩んでいるように見受けられる。

 日本における「茶藝」の流れは、前述の同一性と、それに似た外形をとりながら進んできた。リーダー達も増えていった。
 同一性を追うということは、個性があることを求める芸術性・文化性を重視する方向とは、進む道が離別する必然を示してくる。
 例えば、お茶をいれる所作を、リーダーが掲げるものと同一を強調していくと、当然、この方が美しい、これこそが自己の持ち味である、という考え方、生き方が出てきて、離反することになる。

 そうして、リーダーを中心にしたグループと、そこから離反した個別重視型の人たちとは、微妙にその進み方を変えることになってきた。萌芽は、5年くらい前からであろうか。
 日本の戦後の茶道の進んできた道を見ると、グループの同一性から外れるものは、否定することで進んできた。別の流派を構えたとしても、排除する方向で、その存在を守ってきた。
 煎茶道は、少し違っていたようにも思える。結果、流派は増大した。

 中国茶藝のグループ化は、一方で進みながらも、そこから独立した人たちは、グループを作るとしても、市場性は小さいので、小さなグループにとどまり、むしろ個人として存在することになっている。カリスマ性を持った、市場全体に影響力を持つ人物の登場を、まだ見ていない。
 これは、だれもが主役であり、だれもが対等である、現在のネット社会のあり様にも、影響されているかもしれない。

 というよりも、中国茶の市場、といっていいのかどうか、中国茶愛好家といってよいのか、その人口が増大していないことが一番の原因である。
 社会的現象、影響力を持つ、リーダーや個人の登場が、必要であろうが、それだけの魅力を、中国茶じたいが日本の中で、持たれていないこと、知られていないことが、大きな要因だろう。

 そんな「茶藝」にまつわる動きと、精神的に私は一線を画してきた。
 そのことについては、次回に続く。 

ロウホウトイの写真 今、私が時間さえあれば通いたいレストランを「いっぴん」として紹介しておく、第3弾である。
「中華料理は、どこに食べにいくのですか?」とよく聞かれる。が、日本では他の料理に行くことも多くなり、ちょっと答えに困ってしまう。
 というのは、日本の場合、「フカヒレ」「アワビ」に象徴されるような、中国でいったら「宴会料理」が、ランク上で評価されるが、歳をとるに従って、肩に力を入れないですむ、中華料理が私の好みになってきている。
 今、「一緒に中華を食べたい」といわれた時、東京で、すぐに思い浮かぶのは、「老餐檯(木へんに臺・ロウホウトイ)」である。以前、このコラムで、紹介したこともある。
 ともかく、気軽に、昔の香港、街中のレストランで、おいしいものを食べる雰囲気で、楽しめる。
 おまかせのコース・8品が、電話番号シモ4桁・3,288円。十分な分量である。
 オーナーシェフは、森田さん。中華の気鋭・「遊龍の阿部さん」や「うずまきの柳沼さん」と一緒に、フロアを担当していた人だ。数年前、突然鍋を握り始めた。全てを一人でやっている。
 10人は入らない店である。予約を入れた方が確実に入ることができる。
 電話: 03-5420-3288 東京都港区白金5-14-8

またまた・鳴小小一碗茶 目次一覧へ