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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2013年4月1日

またも「天の声」が登場して

――私が中国茶を続けているわけ

サロン風景の写真 「成り行き」とはいえ、30年も続いてきた中国茶との付き合い。「やめよう」と考えたことは、何度もある。嫌になったことは、数えきれない。
 昨年も、政治的な状況もあって嫌になった。もう「だいたいわかったかな…」と、私の好奇心も落ちたころ、他の何かがきっかけで、「やめよう」と考える。

 ところがその時、何かが起きるので、今も続けている。「続けなさい」という天の声のように。
 ほとんどの場合は、まだ知らないおいしさをもったお茶の登場である。私の好奇心にふたたび火がつく。

 私が中国茶に魅力を感じるのは、「おいしい」と感じることが根本にある。
 そして、その周辺に、知的好奇心・欲求を満たすもの、芸術的好奇心・欲求を満たすもの、人的好奇心・欲求をみたすもの、情報発信する好奇心・欲求を満たすものなど、いろいろの好奇心や欲求を満たす世界があるからだ。

 昨年、「嫌になって」、「そろそろ潮時かな」と思っていたころ、また引き止めるかのように未知なる「おいしいお茶」が現れた。
 9月半ば、日本では、閣議決定がされ、中国各地でデモが起きたちょうどその時、出席した西安での中国国際茶文化研究会の理事会からの帰り、乗り換えで寄った上海で渡されたお茶であった。

 もう20年近い付き合いになる、上海の大きいお茶屋さんの社長が上海で待っているという。「一緒に食事をしよう」といつも誘われるのを、ここ何年も断り続けてきた。嫌いで断っているのではなく、いつも時間がないからだ。今度は、私の西安から上海に着く便を待ちかまえている、という。

 私は、茶葉の販売をしているわけではないので、仕事上で考えたら彼のメリットはないのだが、長い付き合いの中で、友達に近い存在になっている。
 待ち受けていた彼と彼の会社の人、そして彼と取引のある浙江省のお茶生産者と一緒に食事をした。しばらく前から中国で人気になっている、日本の鉄瓶の話などをし、別れるときにお土産で渡してくれたお茶である。「今度作ってみたので、是非試飲してほしい」と。

 いつもおいしいお茶をくださるのだが、私にとっては驚きをもって飲むお茶ではなく、おいしく楽しむお茶になっている。帰ってきて、少し放ってあった。なにげなく気になって、個別包装されたパックを取出し、いれて飲んでみた。
 「驚いた」。さりげなく澄んだ清らかさの中、上品な香りと味が、長く、淡く広がっていく。
 驚きの緑茶である。このタイプのお茶にありがちな、味のばらつき感もなく、まとまりのある味になっている。しばらくぶりに、心洗われるお茶である。

 放ってあった理由は、ブレンドされたお茶であったからだ。経験的にいって、茶葉は他の茶葉とブレンドするとたいていまずい。期待しなかった理由はそれである。
 ところが、私にとっての常識を覆すことになる。
 このお茶を単独で飲んだ場合、よいお茶であれば十分においしい。
 が、このブレンドされたお茶は、それら単独のお茶のもつ魅力とは、まったく違った魅力を発揮している。飛びぬけておいしいお茶である。
 1+1を、5にしたくらいの飛びきりさである。

 ブレンドの正体は、「安吉白茶」(浙江省)と「金山時雨」(安徽省)である。
 サロンにおいでの皆さんにも飲んでもらったが、評価は高い。

 さっそくバックオーダーしたくて、彼に連絡をとった。答えは、ちょっと作ってみただけで、商品化もするつもりもない。手元に残りが少しあるから、それを送る、といって、残りを送ってくれた。
 自分の手元にある同名のお茶でブレンドしても、こうならないことは明白である。
 その送られたお茶を、誰と飲むか、これもまた楽しみな悩みである。 
大切な人と、わかってもらえる人と、そして可能であればともに感動してくれる人と……。

 このお茶は、だから茶名もない。
 でも、間違いなく私が飲んだ2012年のベストティ。そしてこれから先、二度と現れることのないお茶かもしれない。
 今でも思い出すと、清純で、上品な香りが口の中に広がる。
 

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