本文へスキップ

コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2013年5月1日

「待ち遠しい」お茶会に……(下)

――「また行きたくなる」魅力づくりに秘策はあるのか

サロン風景の写真 私のサロン。今年の年間企画は、「もし私が中国茶のお茶会をするのなら……」という、私なりの「お茶会」を、毎月一回行なう企画である。

 そのための企画づくりを始めた昨年9月。私のサロンでは、絶対に出ない、出さないお茶うけ。これをどうするかが、最初のテーマであった。出ない理由は、どんなによいお茶でも、お茶うけのお菓子などがあったら、お茶の味などほとんどのケースは負けて、どこかへ行ってしまうから。
 
 でも、皆さんがこだわるお茶うけ。お茶会をするなら、お茶の天敵・お茶うけを引き入れて、よりお茶を魅力的に楽しんでいただける「茶会」を作ってみよう。最初の決断である。
お茶会のスタートから、最後のお茶で終わるまで、ある時は味のストーリー、ある時は物語の魅力、ある時は至福の世界の濃艶さ、などなど「私だったらこうする」という茶会を作ってみよう。模索が続いた。

 前回書いたように、基本は「お茶のおいしさ」。処々で「おいしい」、最後に「おいしかった」と、幸せな言葉をもらうためには……。

 物語というお茶会のスタートは、この言葉で始めることにした。
『「おいしい」快楽 ご一緒に感じる幸せを求めて』
私が今までお茶をいれ、お出ししてきたことは、この言葉に尽きる。
 毎回、最初に配られる「今日のお茶会」の内容を示す紙。その一番上にリードとして、一年間、この言葉だけが変わらずに書かれることになる。

 毎回取り組むのは、まず最後のお茶を決めること。
 そして、組み立てがされていくことになり、最後にその回を表すタイトルがつけられる。

 毎回の時間は、1時間半。私の中国茶を飲むサロンは、通常2時間である。1時間半にしたのは、食べ、飲むことの集中が切れない時間、それが1時間半ではないか、と思うからだ。
 敬服する大阪の味の名人「もめん」のご主人が、言った名言でもある。
 集中し、緊張が切れず、そして余韻が続き、未練が残る。
 私の実体験からである。最後の余韻と未練は、次への期待で、大切だと思う。

 お茶うけのことで、ずいぶん悩んだ。日本中に、おいしいお菓子、食べ物はたくさんある。それを選び、お茶うけにすることで、問題はないのだが、それでも何かがひっかかる。
 もともと、お茶の天敵である「甘いもの」が多い。
 基本に立ちかえって、お茶に一番あうお茶うけは何か……。

 どう考えても、体験から言っても、「酒」である。「アルコール」である。相性のよさからいったら、知る限り、それを超えるお茶うけはないだろう。
 でも、来る方には抵抗があるだろう。迷った挙句に、スターターはお酒にした。

 会の始まりの飲み物兼最初のお茶うけは、その回その回で、最後のお茶を意識して選んだ、日本酒、ワイン、中国酒など4・5種類の中から一つを選んでいただく。最後のお茶を意識しているので、お酒も毎回、それぞれの種類で違ったものが登場する。

 お酒を飲めない方には、中国茶が選ばれ、用意される。お酒と一緒に供される肴だったり、向付だったり、サイドディッシュなどと一緒に飲むお茶なので、お茶の選択だけではなく、いれ方もそれにあわせたいれ方にする。

 次に、口をさらりとしていだくためのお茶が用意される。最後のお茶をできれば引き立てる、あるいはさりげなく心地よい、脇役のお茶だ。

 そして、全国から取り寄せなどした、「私が好きな」お菓子が登場する。さりげないもの、しっかり甘いもの、華やかなものなど、バラバラである。でも、次のお茶と相立つように。

 食べ終わると最後のお茶の登場である。
 ある時は、ストーリーを締めくくるお茶。ある時は、前のお茶うけに負けない、あるいは相立つ、主役として役をしっかりこなすお茶。いろいろの意味合いと、思いを込めて、茶会を締めくくるお茶となる。

 今年の茶会の統一テーマ、『「おいしい」快楽 ご一緒に感じる幸せを求めて』を、感じていただけるように。
 人それぞれの最後のお茶までのあり様を察して、個々の人によって、微妙に味や感触を変えながら、お茶は茶杯へ注がれる。

 40年も前、ある日本の茶道の先生が言っていた。「わび」は、「La Vie」(人生)だと。
 一碗のお茶は、「人生」、その一コマになれただろうか。

続・鳴小小一碗茶 目次一覧へ