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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2013年5月15日

人に会うこと。私を支えること。@

――杭州・姚國坤先生の答えは……。

姚先生とご一緒の写真 いつからだろうか。もう5〜6年前にもなるだろうか。
 毎年、4月下旬から5月にかけては、人に会う旅の季節になる。
 有田、伊万里、唐津へ。そして、上海、杭州へ。そのあとには台北へ。
15年以上も変わらずに、九州へは陶磁器を求めて、中国、台湾へはお茶を入手するために、毎年出かけている。
 そんな恒例の旅が、5〜6年前から旅の意味が少し違ってきた。お茶や陶磁器が主ではなく、人に会うことが、それ以上の意味を持つようになってきた。

 中にはもう20年以上のお付き合いになっている。年に一度だけ、この時に会うだけの人もいる。すばらしい、あるいは気に入った陶磁器や、おいしいお茶を入手することは、楽しみであることに違いはないが、これらの人に会うことは、私にとってそれ以上の意味を持っている。

 会って、何を与えてくれるかといわれると、説明がしにくい。友に会い、話をし、それに何かの意味があるかを説明できるかというと、なかなか説明ができないのとよく似ている。しかし、人生にとって、かけがいのないことと感じることは、誰しも経験があるだろう。
 会っていて楽しい、会っていて心休まる、会っていて知的刺激を受ける、会っていて元気を与えてくれる、会っていて気持ち良い、と言ったように、また会いたいと思う人への感じ方はいろいろあるだろう。
そんな人たちに、会うために年に一度、この時期に駆け足で旅をする。私を支える時に会うために。

 鳥インフルエンザの恐怖。ちょっとだけ不安を持ちながら、杭州、上海と足早にまわった。

 杭州でも、何人かの人に会った。その中の一人は、姚國坤先生だ。
いつもは、中国国際茶文化研究会の事務局で会ったりするのだが、今年は家に来てほしいということで、昼食を一緒に取ったあと、ご自宅にうかがった。
もう75歳を超えて、いくつかの現職もそろそろ退かれる年齢だが、まだまだ元気である。会っても、何という話もしない。以前は、お茶のことの質問もたくさんしたが、今はあまりすることもない。

 今回は、60数冊目になる本が刊行されたので、私にあげたい、ということであった。上下2巻の大著だが、重さが4sを超える。持ち帰るのも大変である。このところの先生の本は、大著が多い。中国もカラー印刷がふつうになり、紙もよい紙を使うせいか、本は一層重くなる。

 研究者として50年を超え、発行された本は60冊を超えたというが、15年ほど前までは中国での本の発行は容易ではなかったので、ここ10年ほどで年数冊以上のものをこなされたことになる。知る限り、中国のお茶研究者の中では、一番の発行数だろう。

 15年ほど前会った時、彼からこういう質問を受けたことがあった。私が本を書いている時で、「何万字を書くのか」という質問だった。
日本では、「400字詰め何百枚の本」ないし「何百ページの本」という表現がふつうの時代だった。そうか、中国では、文字数でその本の価値を図る一つの基準にしているのか、と興味深く、中国の文化の一端に触れた気がした。

 今回は、彼もそろそろ最後の本を書こうかと思う、とも話していた。自伝を書きたい、ということだった。
元気そうで、とても最後の本にはならないのでは、と思った。中国国際茶文化研究会の歴代の会長は皆長命で、初代会長の王家揚氏も95歳を超え、まだ元気で頭はしっかりしている、ということだった。姚先生の先生にあたる方も、104歳でまだ元気だという。

 ちょっと答えを予想しての質問をしてみた。お茶関係者が決まってこう答えるので、先生もそうかな、と思った。「どうしてそんなに、皆長生きなのか」。ふつう、「毎日お茶を飲んでいるから」と、多くのお茶関係者は答える。
じつは、私はこの答えが大嫌いである。お茶は健康に、そんなに万能ではない、と思うからだ。

 先生の答えはこうだった。「私の場合は、楽天主義。細かなことにあまりくよくよしないことだ」、と言ってお茶をすすった。
なんとなく安心して、また尊敬を深めた。
 長生き、健康には個人差がある。お茶がすべてに万能のように語るのは、逆にお茶のことを知らない証に、私には思える。

 自宅で姚先生は、今では見ることがなくなった、大きな茶壺に口をつけて、直接お茶を飲んでいた。絵になっていた。そして先生の風景になって見えた。

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