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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2013年6月15日

人に会うこと。私を支えること。③

――上海・叙友茶荘社長は、うれしい話で。(下)

高山野生茶の写真「絶対に大丈夫」と言われて、好きな「鳩」の前菜をブル下げられて、「鳥インフルエンザ」の恐怖を超えて、思わず食べたくなってしまった。「ここの鳩は、火がしっかり通っているので、安心。絶対おいしい」と言われたとおり、香港で食べるものよりおいしそうだった。

 そんな昼食を、上海・叙友茶荘の社長と食べながら、二つのうれしい話を聞くことができた。
 一つは、前回の「私房茶」の一般販売である。おいしいお茶に、まためぐり会えた。ブレンドしたお茶なので、次のロットの時に味、香りなどの様子は変わる可能性がある。今のロットの時に買う、まさに買うのは「今でしょう」。

 その時の話題で、お互いに「そうだ」と意見があったのが、おいしいお茶の登場と衰退のこと。彼の長い茶荘経営の歴史の中でも、私の、中国茶と広くつき合い始めてからの20年を超える体験から言っても、共通した感想であった。

 やっと出会った、登場した「おいしいお茶」。それは、必ず2〜3年で味は落ちる。彼も何度も体験しているように、私も何度も、何度もそれを体験してきた。
「おいしい」と、初めて出会った時の、「驚き」と「感動」は、今後「いつまでも」飲み続けたい、「大きな」「強い」願望、「思い」となって残る。

 次の年は、同じ「幸せ」な感動を経験する。ますます、惚れ込んでいく。虜になっていく。
 でもその次か、その次の年、必ずその「思い」は裏切られることになる。味、香りが落ちるのだ。
「こんなはずではない」、「何かの間違えだろう」、「ひょっとして、間違えて違うお茶が来てしまったのでは」という体験を、何度も経験した。そして、次の年、前の年が間違えであることを念じて、飲んでみるが、ダメである。そして次の年も。
「おいしいお茶」は、思い出のお茶となり、二度と同じ味では登場したことはない。
 叙友茶荘の社長も同じだという。

「なぜなのか」。
 原因は、いろいろあるだろう。15年も前のことであれば、こんなケースが多かった。
 新しく目の前に登場し、感動を与えるお茶の多くは、奥地の貧しいところのお茶が多かった。自然のままで作ることしかできなかったお茶である。生産量を増やすための、農薬すら買うことができないお茶である 。
 ところが評価してくれ、買ってくれる人が登場してくると、農薬も買うことができ、生産量も増やすことができる。それまでの生活よりも、豊かさを目指す道が見えてくる。
 その結果、味、香りは落ちる。

 今でもそうだが、よく農薬を使うことを目のかたきにして、使うべきではない、と簡単に言う人たちがいる。確かに使わない、あるいは適度にコントロールされた方が、「安全で」「おいしい」ことも事実である。
 しかし、その作り手である農家の人々が、「少しでも豊かになりたい」、「都会に近づく生活を送りたい」とする思いを、放棄させることを、そう簡単にできるのだろうか。やってよいのだろうか。

 解決するには、味、香りを維持してもらうために、その収穫量で、彼らが私たちと同じような生活を維持できる価格で、買い支えることである。彼らに貧しさを強いることは、やってはいけない。
 お茶の買い手で、「無農薬」を声だかに言う人はいるが、「高値」で買い支えようということを積極的に実践する人は少ない。「安全」「おいしさ」の本当の対価を、払おうという人は少ない。

 同じ体験、思いを叙友茶荘の社長も持って、そんな話をしながら、今回の感激、二つ目のお茶を私にくれた。飲んでみて欲しいという。
 江西省婺源の「野生茶」だという。婺源は、「婺源茗眉」で知られる、古い茶区だ。農薬も買えない、農家が作っているのを見つけたという。

 このところ「野生茶」はちょっとしたブームである。栽培されている茶木ではなく、自然にある茶木から作ったお茶、という定義であろうか。
「無農薬」「安全」といったことにも合致するイメージがあるので、いろいろなところで見かける。

 以前は、ほとんどのケースでほぼおいしかった。安いのがふつうだった。  しかし、今は、これが本当に野生茶かと思えるお茶もある。「野生茶」とつけると売りやすいので、そのような名前をつけて売っているのではないか、と思われる。
 でも、チェックのしようがないので、飲んで、経験で判断するしかない。

 叙友茶荘は、このお茶を今年春から「高山野生茶」として売っているという。50gで120元。高くはない。帰ってきて飲んでみたが、おいし感動が広がった。
 どうという主張はない。どこかで、花のような香りがする。感動も少ないゆえの、素朴な感動、強制されない感動を体験することができるお茶だ。

 歳をとることは、経験もより多くつむことで、感動しても先を予想して、惚れ込むこと、のめり込むことにブレーキをかけることが多くなる。
 このお茶とは、だから今年、来年と、このお茶と過ごせる、「幸せを感じる時」を大事にしたいと思う。それ以降は、今は期待しないことに。
 だから「今」を。

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