本文へスキップ

コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2014年9月15日

「鉄」のはなし

――「鉄餅」も芸術品か

上海錦江飯店の旧館の入口の扉の写真 上海を訪れると、気になることがある。15年ほど前から気になっている。
「鉄」である。鉄が気になる。

  上海の観光ガイドブックには、たぶん載っていることはない話題である。上海の街の「鉄」が美しい。
 ガイドブックに載っているとしても、外灘の端に古くからある橋「鉄橋」くらいであろう。100年以上の歴史があるという。中国で一番古い鉄の橋とも聞くが、真偽のほどはわからない。当時の上海が、世界的に近代的な街であることの証のような存在であったろう。確か数年前に改修され、きれいにもなった。
 実際に見ると、小さな、現代ではなんと言うこともない、橋である。

 それと似たようなことは、ヨーロッパにもある。
 観光名所でいえば、代表格はハンガリーの首都ブタペストにある「鎖橋」だろう。ドナウ川を挟んで、ブダ側とペスト側を結ぶ鉄で作られた橋である。1800年代の半ば、ブタペストでの最初の鉄の橋で、シンボルとなった。少し丘に上ったところから見る姿、風景が美しいので、観光の目玉になっている。

 今人気のスペインのバスクでも、鉄が作った物語がある。バスクの中心地ビルバオ。現在は観光地として、世界から多くの人が集まってくるが、少し前までさびれた町になっていた。鉄生産で栄えた町。鉄の衰退とともに寂しい町になっていった。
 町の再生をかけ、いろいろなことが行なわれたが、代表的には、ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館の分館を誘致したことで、町は観光客がたくさん来るようになり、昔以上のにぎわいをみせるようになった。
 鉄が町の中心だった時代のなごり、鉄で作られた橋の代表は、運搬橋である。今ではグッゲンハイム美術館と並ぶ観光名所になっている。

 ポルトガルのポルトもそうである。大西洋に注ぐドーロ川。それを挟む丘は、片側が旧市街、片側はポルトワインを作るボディガ(ワイナリー)がたくさんある。丘を少し上ったところ、ドーロ川をまたぐようにいくつかの鉄製の古い橋がある。ドーロ川をクルーズしながら、それらの橋を眺めるのも、ポルト観光の一つになっている。

 話を上海に戻そう。私のいう上海の「美しい鉄」は、観光資源にはなっていないし、ほとんど話題にのぼることもない。古い町並み、建物の窓、扉にある鉄柵などは、古い上海の美術ともいえるくらい、すばらしいデザインのもので飾られている。
 外灘では、ほとんどの観光客は川を見ながら散策するが、そうではなく川に面して、競いあうように建つ古い大きな建物の入り口の扉、大きな窓を飾っている鉄柵などの外観を見て歩くだけでも飽きない。その建物、建物で、それぞれのデザインが違っている。建てた当時は、さぞ競い合ってデザインがなされたのだと思う。

 ほとんどが、1800年代半ばから1900年代のはじめにかけ、ヨーロッパの影響を受けて作られたと思われる。これらの「鉄」の芸術は、世界的にもすばらしい作品群だろうと勝手に私は思っている。

 こんなことを思ったのは、先日行った香港で、久しぶりに「鉄餅」に出会った。もちろん買った。
 プーアル茶に詳しい方には、なじみだろうが、そうでない方のために説明すると、固型茶の一つに、円盤型に固められた「餅茶ある」。
その中で、とくに圧力を強くして、硬く固められた餅茶を「鉄餅」と呼ぶ。ほとんどの餅茶が、お正月の鏡餅のように、端はなだらかな傾斜をみせるが、鉄餅はしっかり角がある薄い円柱型で、1cm弱ほどの高さのある。

 固められてからの熟成(変化)のスピードを、より遅くするのが目的で作られるという。
ふつうの餅茶以上に、非常に硬く、崩すのに苦労をする。何十年もすると少しは柔らかくなるのかもしれないが、手元にあるのは十年ほどのものが一番古いので、確認することができない。
 通常の餅茶は、私は、横の方から尖ったアイスピックのようなものを横に入れ、剥ぐように崩すが、鉄餅については、これすら簡単ではない。

 見た目は、堅牢な感じで、どっしり感、存在感がふつうの餅茶以上に感じられる。変化のスピードが遅いとすると、じっくり時を待て、と言わんばかりの存在感のようにも思える。これも一つの「鉄」の芸術といえるであろうか。

(注) 写真は、上海錦江飯店の旧館の一つ。その入口の扉。

続・鳴小小一碗茶 目次一覧へ