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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2014年3月15日

中国茶。変化のうねり。

――生活の高度化がそれを示しているのか

サロン風景の写真「変化」に気づく。
 中国茶が、変化している。中国緑茶が、変化している。
 今までも、大きなうねりを何度か感じてきたが、今回のうねりは、中国の生活の変化がもたらすもののような気がする。

 今年、私のサロンの「おいしい中国茶を飲む」コースでは、一年かけて、「中国茶銘茶60種」を飲むことを始めている。  このテーマでやってみようと考えたのは、昨年東京で、あるお茶の集まりに行ってのことだ。そこに出店していた数十を超える中国茶を売る日本のお茶屋さんで、扱われている中国茶の種類が少なくなっていることだ。
 日本人が好むお茶、たとえば「武夷岩茶」「安溪鉄観音」「高山烏龍茶」「凍頂烏龍茶」「鳳凰単ソウ」「プーアル茶」などを扱う店は、ダブってあっても、そのバラエティが狭くなっていることだ。
 とくに中国緑茶を扱う店は、ほんの数店であった。

 商売だから、売れるお茶しか扱えない、というのも事情である。売れないお茶を並べても、商売にはならない。中国緑茶は、日本では売れない。
 でも、中国茶の初心者が来て、これが中国茶、と認識するには、あまりに幅が狭すぎる。これでは、日本にいて中国茶を身近で買おうとすると、中国茶の多様性を知らないままで買うことになる。

 これではいけない、と思った。中国茶の種類の多さ、それは味、香りの多様性を示すものであり、中国茶の魅力の一つでもある。
 せめて、一年かけて、私のサロンで数多くのお茶の種類を飲んでもらえたらよいのでは、と思った。例年なら、このコースは、たとえば「高山烏龍茶」でいったら、春茶と冬茶を、畑、茶区の違い、作り手の違いなどで、少なくとも、1年で20種類くらいは飲むことになる。
 それを今年、「高山烏龍茶」は一種類しか飲まない。

 その結果、特徴だって増えるのは、当然ながら、圧倒的種類の多さ、シェアをもつ「緑茶」である。そして「紅茶」。中国全国にある多くの紅茶の銘茶が登場する。

 その上、今までの所謂「銘茶」に加え、私が評価できる「銘茶」として相当すると思えるお茶も登場する。早く紹介しすぎて、すぐに消えてしまうかもしれないが、歴史上、こんな「おいしい、質の高いお茶」も存在した、ということを体験してもよいのでは、と思う。


 そんな思いで始めて、3回目が過ぎた。すでに15種が登場した。緑茶7種、青茶(烏龍茶)3種、紅茶3種、黒茶1種、花茶1種である。
 その中で、ここ数年で感じていた「中国茶の変化」を、確信に近く感じ始めている。
 どのような変化かといえば、従来中国緑茶の中には、わりにスモーキーな緑茶が多かった。15年以上前でいえば、千を超える銘茶がある緑茶の中で、過半数あるのではないか、と思われるほどであった。

 そのタイプのお茶の代表格は、安徽省の「屯緑」、あるいは浙江省の「平水珠茶」がすぐ思い浮かぶ。
 もう20年近く前、安徽省屯溪(今の黄山市)に行った時、ほとんどのレストランはお茶が「屯緑」であった。2軒目からは、もうあのお茶は飲みたくない、と思うほど、スモーキーで、特徴的であった。
 ヨーロッパで評判になった「ガンパウダー」の愛称のある「平水珠茶」も、独特のスモーキーな感じがあり、いまだにパリの有名スーパーの商品棚に並んでいるのを見る。

 どうしてこのタイプのお茶が中国には多いのか。そのタイプのお茶が作られているところの人は、輸出用にのみ作っているところでは別だが、なんの違和感なくこのお茶を飲んでいるし、おいしいと言う。
 また、なぜかヨーロッパで好まれる中国緑茶の多くは、このタイプが多い感じがする。
 日本人の多くの人には、いれ方を工夫しないと、「まずい」と感じるタイプのお茶でもある。

 何年かすると、これらのタイプのお茶が作られる地域に、共通するものを感じた。あくまで、私見であるので、そのつもりで聞いてほしい。

 どちらかというと、料理の油分が強い地域である。
 上述した、安徽省の屯溪一帯の料理は、「徽州料理」と呼ばれ、中国でも有名な油分が強い料理で全国的にも有名であった。
 料理に使う油を、何度も使い回しすることが多いように場所なども、このスモーキーな緑茶が多かった。沿岸地域より、内陸地域の方が多いような気がした。

 緑茶が生産されない地域で、油分が多い料理のところは、焙煎するお茶が存在する。代表的には、武夷山である。「武夷岩茶」は焙煎するお茶である。
 ちょうど、日本で天ぷら屋さんの最後のお茶は、「ほうじ茶」であるのを思い出せば、理解できる。

 そして、今年の企画の中で、従来からスモーキーなタイプの緑茶であったものが、スモーキーな感じが消えている、あるいはスモーキーさが軽くなっているものが増えてきている。
「えっ、このお茶も?」と、日本人にはおいしく感じるテイストに変わっているお茶もある。
 一つだけではない。いくつもだ。

 今まで述べてきた私見で考えると、これは、その地域の料理に使われる油分が減った、あるいは使い回しをしない新鮮な油を使うように変化した、と考えることができる。
 加えて、乱暴かもしれない見方をすると、15年くらい前から進んできている、私流に言う「広東料理の全国制覇」が、一般家庭にもいきわたってきていることも考えられる。
 どういうことかというと、日本料理で置き換えて表現すると、京料理の全国制覇みたいなものである。ローカルな料理が多い中国で、どこにいっても淡白な感じの料理が、好まれ、定着してきたともいえる。

 こんなことを感じながら、中国の人たちの食文化、生活文化の変化、それは「生活の高度化」を表すものであり、お茶を変化させていると思える。
 ちょっと、短絡に過ぎるだろうか。

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