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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2014年6月15日

「おいしいお茶」の極意は、「お茶を抽出させない」ことか

――和食の達人たちがいう、「マイナス」技術・発想に共通する

サロン風景の写真 先日、大阪、京都で、和食の名人たちの料理を食べる機会があった。
その中の二人の名人が、それぞれ料理を作りながら、奇しくも同じ話をしていた。和食の作り手の世界では、よく出る話らしい。
「どこまで、マイナスできるかですよ」。
 これだけ聞いたのでは、なんのことかわからない。

 どうも、こういうことを指すらしい。
 料理をおいしくするために、素材を吟味し、技を駆使し、味をつけ、きれいに飾り、おいしくいただいてもらう。これは、足し算の世界の話だ、という。
 和食も、修行する時はその「足し算」で、修行するという。フレンチをはじめとする料理は、多くの面において、料理する、味をつけるなどにおいて、何かを常にプラス(足し算)していくことで、成り立っている。

 ところが、和食の世界は、最初はプラスのこと(足し算)で修業をしながら、ある水準に達すると、そぎ落とし、そぎ落とし、料理を作り上げていくようになる。また、そうならないと、人よりも「おいしい」といわれるようにはなれない、というのだ。

 料理をしない私には、雰囲気は理解できたような気はするものの、本当には理解したとも思えないが、なんとなくわかるような気がする。

 日本の食、その周辺、嗜好の世界では、そのようなことは形を変えて存在するように思う。
 日本茶道の研究者ではないのでわからないが、茶道の世界でいう「わび」についても、同じようなことが言われている気がする。

 千利休が極めたとされる「わび」。「わぶ」ことは、一方の極に「豪華」あるいは「豪奢」な世界があり、そしてその対極に「わびた」世界がある。「豪奢」から「わびた」世界へ、限りなく追及すること、その過程に存在するのが「わび」である、と古く唐木順三さんは書いていた気がする。
 一方の極にある「派手」や「豪華」なものがなければ、「わびた」世界だけでは「わび」は存在しない。そこへ向かって「わぶ」ことこそ、「わび」の世界である。

 茶道の世界で、「わび」として評価されているのかどうかわからないが、利休の孫、千宗旦は、「わび」を極めて極めて、使った道具は、釜、柄杓、茶碗、茶筅などだけであったという。
 要するに、お茶を点てる必要最低限の道具だけになった、という。

 和の料理人が、料理に、味つけや外観などの装飾をつけていきながら、「おいしさ」を探求し、そのある程度行き着いた世界から、今度は装飾や味つけをそぎ落としながら、自分の「おいしさ」の完成形を目指していく。そういうことが、「料理はどこまでマイナスにできるか」という言葉が言いたい部分ではないか。

 そんな話を聞きながら、「お茶をいれる」こととの共通さがあることを感じていた。
 お茶は、基本的には、茶葉から成分をお湯の中に抽出する、という行為を経て、飲まれる。
 だから、お茶の「いれ方」は、いかに茶葉から成分を抽出するか、という技術の説明になり、教える場合も、その工程、技術を教えることになる。

 ところが、「おいしい」と多くの人から支持されるお茶は、どうやらこのやり方では限界があるように私は感じる。
 和の料理人がいう「マイナス」にあたる、「いかに茶葉のもっている成分をお湯に抽出しない」という技術が、大切になる。

 もちろん、料理の修業と同じように、基礎技術は「抽出する」である。
この「抽出のしかた」の、多様な技術やケーススタディなどを経て、お茶は「おいしくいれられる」ようになる。
そののち、飲み手の多くを「うーん、おいしい」とうならせるようになるためには、その「抽出する」を経て、「抽出しない」技術を身につけることが必要な気がする。

 ところが、「抽出する」より、「抽出しない」技術の方がずっとむずかしい。
 生来、こんなことだれも教わっていない。どうしたら「抽出しない」でおいしいお茶がいれられるか、そんなことだれも教えてくれない。

 たとえば、「抽出しない」を心がけ、いれたお茶は、まず「薄くて、白湯を飲んでいるようだ」と評価される。
 しかし、飲んで一瞬ののちに、白湯とは、違うものを感じる。薄いけれど、空気のような存在感を感じる。
香りもわかりにくいけれど、長く、清らかに、上品に続いていることに気づく。味、香りを強く主張しないが、確かに、どこか何かが五感に迫り、いつもまでも印象が残る。

 このタイプの「抽出させない」考え方でいれたお茶は、共通して一つの言葉で表現できるものをもっている。
 それは、「清らか」さである。

   こんなタイプのお茶こそ、「おいしさ」達人のいれたお茶になる。
茶葉からいかに「お茶を抽出しないか」(お茶のマイナスのいれ方)、ということが、その裏に「抽出する」確かな技術に裏打ちされて、「おいしい」と多くの人から指示されるお茶になる。

 どうしたら、「抽出しない」、「マイナス」のお茶がいれられるのか。
 いずれ詳しく話す時もくるだろう。それまで、お楽しみに。

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