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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2014年10月15日

人生一番の「ポテトチップス」は……

――またまた昔話。「中国茶文化」も変わっていく

ポテトのフライの写真「ポテトチップス」は、好きな食べ物の一つだ。
 身体に良いとは思えないが、好きである。
 40年ほど前になるか、アメリカで「カウチ・ポテト(カウチに寝転んで、ポテトチップスを食べながらテレビを見る)」という言葉が生まれ、その結果、「ポテトチップス性高血圧」という病名風の言葉すらドクターの間で使われていた。もう聞く機会もないので、その後どうなったのか。
 食べ過ぎが健康を害することは、その頃から承知のうえだが、好きなものは好きである。

 昨年、北海道の士幌町の農家への還元商品(この意味がどういう意味かわからないが、表示にそう書いてある)の、ポテトチップスをいただいた。現地の「道の駅」でしか売られていないらしい。久しぶりに「おいしい」と感じるものだった。
 今年も現地に行かれると聞いて、箱で買い、送ってもらった。それを楽しんでいる。

 毎年の遅い夏休みで、今年はポルトガルのエヴォラに来た。
 最近評価があがっているポルトガルのワイン。
 その中でも、伝統あるポルト。日本でも古くから「ポートワイン」という言葉で使われているように、歴史は古く、そのヴィンテージものは、値段も高価である。
 そしてどんどん評価をあげている、ポルトガルの北部・ポルトからドゥーロ川をさかのぼったところにある「Duoro」地域。今、スペイン・ワインのナンバーワンの座を、「リオハ」から奪おうとしている「Ribera del Duero」のワインの地域は、このドゥーロ川の上流になる。
 また、スペイン国境からポルトにかけて、つまりスペインとポルトガルの国境を挟んで南北で作られる「アルバリーニョ種」を使った早出しの白ワイン。ポルトガルでは、「ヴィーニョ・ヴェルデ(緑のワイン)」として以前から有名だ。

 昨年、ポルトで、「ポルトガルのワインの中で、今一番評価をあげてきて伸び盛りなのは、首都リスボンの東にある県、アレンテージョの地域だ」、と仲良くなったワイン・アドバイザーに聞いた。今年は「アレンテージョ」の中心都市・エヴォラを訪ねることにした。

 エヴォラは、ご存知の方もいるかと思うが、古い城壁都市で、世界遺産になっている。日本との関係でいえば、江戸時代、天正遣欧少年使節が、日本からリスボンに上陸し、陸路ローマを目指した。このエヴォラにも数日立ち寄ったらしく、「教会のこのパイプオルガンを聞いた」、という説明があった。

 ポルトガルの中でも「アレンテージョ料理」は、オリーブオイルがたくさん使われた、わりにがっしりした料理が特徴である。だから、最近話題のレストランでも、「アレンテージョ料理に飽きた人向けの、やさしい料理」を売りにしているところもある。

 エヴォラから東に行ったお城のある小さな町のレストランで、しばらくぶりに、おいしい「ポテトチップス」に出会った。
 ステーキのサンドウィッチの付け合わせとして出てきた。「ポテトのフライ」であるが、写真にあるように、大きく、日本のポテトチップスよりはずっと厚くスライスし、それを揚げてある。
「おいしい」と感じたのと一緒に、忘れられないほど今までで一番おいしかった「ポテトチップス」を思い出した。

 それは、1996年だったと思うが、中国・山西省五台山で開かれた「茶文化」の国際会議での出会いであった。
 日本から多くの遣唐使の僧たちが、この五台山で勉強するためにやってきた。日本とも繋がりの深い、中国仏教の中でも名刹の一つである。
 そこのホテルに、200人ほどのお茶関係者が集まった、中国流にいえば「国際茶文化研討会」であった。海外からといっても、本当に数えるほどの参加者であった。シンガポールで、茶藝を初めて教えた人。台湾からは、今もある茶藝館のオーナーの周さんも来ていた。日本からは、二人だけの参加者であった。

 黄土高原と化した中にある、しかもすごい山の中である。
 ホテルの会場で出てくる毎食の料理は、素朴なものばかり。豆と豆腐とジャガイモを中心にした料理ばかりだった。肉があることは少なかった。何食か進むと、同じ料理が繰り返される。たぶんシェフも困ったのだろう。それでも、外国人用には別のテーブルが用意され、他の中国の参加者とは差がつけられていた。
 一巡して飽きる前に、見た目は一品の料理とも思えないものが出てきた。
 ジャガイモをスライスして揚げた、私たちの呼び名でいえば「ポテトチップス」である。しかし、このポテトチップスこそ、私の人生でナンバーワンのチップスであった。これを超えるものは、今でも出会っていない。

 そして、今回、五台山、士幌町に続いて、アレンテージョで「感動もの」に出会った。五台山の感動は超えないが、おいしさでは、負けないものであった。
 ポルトガル語だけは、西欧圏内では、唯一お茶は「cha」である。中国、日本、そしてはるかポルトガルと、「tea」ではなく「cha」である。

 その時、ポテトチップスを食べながら、中国の茶文化研討会の姿も、ずいぶん変わったな、と思った。
 五台山での研討会は、2〜3の分科会しかなかったが、印象に残る姿があった。
 あるグループは、毎日、ホテルのロビーに大きな大きなテーブルを出し、そこに紙を広げ、交代で一人が書を書き、そして周りの人は、書くのを見ながらお茶を飲み、書き終わるのを待って、その書について、お茶の入った茶碗を片手に、いろいろ話しをしている。
 悠久の時の流れと、そこにあるお茶の姿があった。「文人」という言葉を思い出した。そして、「お茶」のよき姿を見た。

 そして、数年が過ぎた頃、そんな書の文人たちの集まる姿はなくなった。
「茶藝」の表演がプログラムに登場した。各国からの人が、「茶藝」を通してお茶を楽しむ、というよりは、「茶藝」を見せる形のものになった。パフォーマンスだけで、心に訴えるものはあまり感じなかった。

 そして、ここ数年前からは、その「茶藝」の表演も次第に姿が薄くなってきている。
「茶経済」とでも呼んでよいかと思うが、お茶のマーケティングのケーススタディなどの話題が、多くなってきている。

「茶文化」の定義は、曖昧である。それゆえ、広い。
 そして、それを中心に、成果、意見、研究などを問い、研究、討論する「研討会」の内容、姿も、この20年の中で変化をしていっている。
 茶文化も、生き物である。時代の変化、要請などによってその領域の中心も変化していく。
 中国の国内状況も、いろいろ反映しながら、移り変わっていく。
 今、中心は、言い方は悪いが、「カネ」が中心になっていこうとしているように見える。
 それこそ、長い長いお茶の歴史にあって、必ずお茶の表と裏で、交互に見え隠れする本当の姿なのかもしれないが、何か違和感があると思うのは、私だけだろうか。

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