2014年12月15日
「あら川の桃」で、今年の私の夏が過ぎた。このコラムをお読みいただいている方には、ずいぶんご質問を受けた。「あら川」の存在についてである。
秋は、足早に通り過ぎたが、今年の秋は、「九度山の柿」で思い出を作った。
11月初め、大阪でのクラスで、「柿」が話題になった。クラスは二分され、「和歌山」派と、「奈良」派に分かれた。
その夜、大阪の割烹のご主人に聞いた。「どちらの柿がおいしいのですか」と。
答えは、まったく意外なものであった。「それは、九度山に尽きます」、と断定された。
「九度山」は、不勉強ながら、知らなかった。
和歌山の地名だと、教えてもらった。
早速、翌日午前中に買いに行った。「あら川の桃」でお世話になった、いつもの果物売り場には「九度山の柿」はなく、別の果物売り場には、今を盛りに並んでいた。
ふつうに並んでいたので、よく見て産地がわかったが、特別扱いされてはいなかった。
でも、買うときに少し話しを聞いたら、「ブランドだから」と言われた。
ともかく、一個150円で、親切によさそうなところを選んで、送ってくれた。
帰りに、別用があって売り場の前を通ると、午前中に山のようにあった柿が、すべて売れていた。聞いてみると、「中国の人が来て、みんな買っていった」と言っていた。ここまで、中国の進出があるとは……。「九度山」の何たるかを知ってのことなのだろうか。
届いた柿を早速食べた。
バランスがよい富有柿である。
まず、富有柿なので、硬めだが、硬すぎず、柔らかすぎず、噛んで心地よい歯ごたえがある。食べたタイミングもあるのかもしれないが、ものによってはある、ザラツキもない。なめらかである。渋みもなく、甘さは強くなく、上品な甘さで、心地よい。
なかなかのものだ。
本当に、久し振りに、無理なく、自然に食べられる柿を食べた。
食べ始めた週末に、用があって日本橋三越に行った。地下鉄からの入り口近くに、果物売り場があった。柿、しかも立派な柿が並んでいた。中には、桐の箱に入ったものもあった。
見ると「九度山」のラベルが、ひとつひとつに貼られている。大阪で買ったものより、少し大きなものだ。値段を見て驚いた。一個850円を超えていた。
本当に、「ブランドもの」だ、と実感した。
東京では買うことをためらう値段である。
11月末の大阪のクラスに行くのが、楽しみになった。もちろん、柿を買いに、である。
ところが、もうすでに「九度山」の柿は姿を消していた。今年は、一回しかゲットすることができなかった。
でも、代わりに奈良の富有柿が並んでいた。
クラスで論争になった「和歌山」対「奈良」の、「奈良」である。
「和歌山」で十分満足したのだから、その好敵手であるはずの「奈良」のものも、まずいはずがない、と思い店員さんに聞いてみた。
店員さんは、「変わった客」と言いたそうな顔をして、「おいしいですよ」と言ってくれた。聞かれて「まずい」という店員はいないだろうが、私には本当に「おいしい」ように感じとれた。
買って送ってもらった。
「九度山」を食べた時ほどの大きな感激はなかったが、中くらいの感激は十分あった。
こちらも、バランスよく、自然に食べられる柿であった。
くだもの。一年を通して、「和歌山、恐るべし」である。大阪、関西のくだものバックヤードを支えている。ともかく一年、お世話になりました。楽しませていただきました。
と言いながら、12月の大阪のクラスでは、「田村みかん」探しに奔走した。
もちろん、和歌山のみかんである。昨年来の御ひいきだ。このみかんで、越年する。
お茶の話をしなかった。
日本茶の場合も、「江戸」があって「狭山茶」が大きく成長した。
中国茶も、いろいろの地域で生産され、特徴をもったお茶が、その地域で消費される構造をつい最近までとってきた。全国区のお茶は、数えるほどであった。
だから、種類も多く、一人の人間が、そのすべてを飲んでみる、なんてことはできなかったし、考える必要もなかった。
自分の生活にあったお茶は、お茶の生産北限を超えなければ、身近で手にはいった。
しかし、改革開放以来、経済成長、生活の豊かさが見えてきた頃、全国流通するお茶が多く登場し、その味も変わってくるものが出はじめた。
良いことか悪いことか、いつも答えのでない問題、「豊かさ」と「おいしさ」の味の反比例は、いまや定着した感がある。
たとえば、「昔の『洞庭碧螺春』には、もう会えないかもしれない」、などと思うようになって久しい。
2005年の木柵鉄観音の冬茶を出してきて、皆さんと飲んだ。張約旦さんのお茶だ。98歳だったか、亡くなった、名人の遺作のお茶である。
約10年たっても衰えない、味の深みと、お茶と焙煎のバランスの良さ。
こんな作り手は、いつまた登場してくるのだろうか。
私だけではなく、飲んだ人すべてがそう感じるほど、自然に心が柔らかくなるお茶であった。
そんな思いを感じながら、今年は、和歌山の「田村みかん」に始まり、今また和歌山の「田村みかん」で、年を越そうとしている。
和歌山、恐るべし。