2015年5月15日
例年どおり、ゴールデンウィークは、有田、伊万里、唐津のお知り合いの窯元に、年一度のご挨拶まわりである。この時期は、全国を飛び回っている著名な先生方も、たいていご自分の窯にいる。短期間で、皆さんにお目にかかれ、効率的なので、訪問はこの時期になる。
振り返ると、1年くらいの中断はあったものの、もう25年ほど続いている。
ここしばらく時間の関係で行くことのなかった、伊万里焼の窯元が並ぶ山の中、大川内に行ってみた。伊万里焼の窯元「畑萬」に行ってみようと思ったからである。
先日、唐津を代表する陶人たちの展覧会があって、銀座和光に行った。その帰りに、地下の売場を覗いてみて、久しぶりに「畑萬」の作品を見た。ちょうど、五月の端午の節句にあわせて、磁器の人形が飾られている中にあった。
少し絵付けに変化を感じた。今までとは違った魅力を感じた。そんなこともあって、今、どんなものを作っているのかが、見てみたかった。
「畑萬」で、数多くの展示を眺めていて、絵、デザインが進化したと感じた。新しい魅力ある筆使い、デザイン力が訴えかけていた。
その中に、明治時代から続くデザインの染め付けも、並んでいた。それらも、伝統の絵、技術を咀嚼したうえで、別の力強さを発揮していた。
その煎茶用茶器一式の並ぶ横に、クリアフレームに懐かしい写真を発見した。
20年ほど前、『家庭画報』が中国茶を取り上げた時に、ページを構成された写真の中の一枚である。その中に、私が当時使っていた茶器などで構成されたページがあり、その中に畑萬の煎茶の道具があった。その写真である。
大正期のもの、撮影当時のもの、時代はバラバラであったが、同じ柄の煎茶道具を、茶壷、茶海、茶杯、茶船など中国茶用の茶器として使っていた、畑萬伝統の染め付けの柄であった。
今も手元にあるが、しばらく使っていない。
当時は、中国茶をいれたり、飲んだりする器も、日本では入手するとしても、選択肢の幅は狭かった。
おのずと、茶道具ではなく、もっと広い道具を中国茶に使おうという、発想をすることが必要になり、自由度は高かった。
「どうしたら、中国茶をおいしくいれることができるか」、「おいしく飲むことができるか」、「魅力的に道具を楽しむことができるか」、それが道具への基本スタンスであった。
日本のものからヨーロッパ、洋食器も含めて、それぞれの使用目的とは違った中国茶への使い方を見つけ出すことに、エネルギーを向けていた。
有田などに通う中で、今はなき名人たちにも教えてもらうことも多かった。
白磁のロクロの名人・中村清六さんが教えてくれた言葉は、今でも忘れない。
「茶碗も飯碗もそうだが、おいしく飲める、食べられるものを選ぶのだったら、まず唇に当ててみることだ。自分の唇に、気持ちよく当たるようなら、大丈夫だよ」。
今でも、茶杯を選ぶ時、姿ももちろんだが、迷ったら唇への当たりで決めている。
「おいしく」「楽しく」なる器は、結果、「美しい」あるいは「魅力的な」姿でもある。
逆に、外見が「美しく」「魅力的な」姿であっても、「おいしく」「楽しく」飲めない器もたくさんある。たいていの場合、唇への当たりもどこか違和感がある。しっくりこないものが多い。
そんな選び方で、ほぼ外すことがなく飲む器を選ぶことが、ずっとできてきた。
いれる器は、姿が決める。
文字で説明することはむずかしいが、器を見て、だいたいお茶がどのようにはいるかも予想できるようになった。これは、失敗も含めた数多くの経験から、わかるようになった。
「姿」、といっても、外見のきれいさやデザイン性だけではダメである。もう一つの何かをもって、その「姿」はその性格を表現している。
最近では、姿だけではなく、作る人の人格で決まる器もある、不思議な体験をしている。
唐津の中里太亀さんの器は、中里さんの「やさしさ」が味に影響を与えている、としか思えない不思議な体験を、させてくれている。味がやわらかくなる。
25年以上続いた有田、伊万里、唐津の旅。
中国茶を、「おいしく」「楽しく」「美しく」「魅力的に」続けてくることができたのも、この旅があったからだ。お茶は、器がなければ、いれることも、飲むこともできない。
「とらわれることのない器への自由度」。
これが、中国茶器選びのコツである。
自分の好み、自分の感覚、自分の主張、そして広く、限りなく、機会あるたびに、継続的に追い続け、触れ続ける、好奇心と行動力。惚れ込む力。
そうすると、自分の器が見えてくる。出会うことができる。
他人の好みで押し付けられた器は、いずれ飽きがくる。
長くつき合うことがむずかしくなり、別れがくる。
20年前の茶器の写真とその後継茶器を「畑萬」で見て、初心の茶器が今も私の手元にあることが、うれしかった。