2015年8月15日
本当に、しばらくぶりの上海である。
昨年春に、いつものお茶を取りに上海に来て以来だから、1年3か月ぶりである。
この20年、年に最低でも2回、多い時には4〜5回は来ていたから、こんなことは初めてと言ってもよい。
数年前からは,上海は、今の時代的には、かなり成熟した都市になっていたので、ブランクが空いたからと言って、そんなに変化を感じることはなかった。
都市としての一番変化を感じた時代は、15年前から10年前くらいだろうか。その頃は、数か月の間をおいて行くと、街は高層ビルが何棟も新たに建ち、景観が様変わりしていた。
10年前〜5年前くらいの変化は、再開発であろう。古い建物、軒並みは、取り壊しがどんどん進み、ビルになったり、公園、緑地が増えていった。
その後のここ5年は、まず、女性の衣服、お化粧などスタイルが、急速に変わった。この変化は、ほんの1年といってもよいくらい、急速であった。
それまでは、街を歩く日本人女性と中国人女性は、国籍の見分けは容易についていたが、この時から、私たち日本人からは見分けがつきにくくなった。
今、大きくは変わっていない、というのは、都市を大きく見た場合で、日本でも同じように、街は細かく変化していっている。たとえば、店舗は新しい店に変わったりしている。
お茶関係でいえば、上海にある代表的お茶市場は、相変わらず、こんなにお客さんがいないのに、なんでつぶれないのか、と思うことは、ずっと変わっていない。が、変化はある。
二つの変化がある。
一つは、「鉄瓶専門店」が増えている。今まで、確かにお茶を扱っていた店が、鉄瓶、しかも日本の鉄瓶をたくさん並べて、専門店に変わっている。何軒もである。
5年ほど前からの、中国の鉄瓶ブームに対応しての変化である。
ただ、店の人の話を聞くと、ここ半年は以前の勢いがないという。売れ行きが落ちている。お茶市場じたいが、お客さんが少ない場所なのに、これら鉄瓶屋さんは、見るところお客は皆無だった。
そろそろ中国の鉄瓶ブームも、先が見えてきたといえるだろう。
二つめは、茶葉の特化、集中である。
市場は、何百軒というくらいのお茶屋さんが店を出している。以前は、全国各地のお茶がここでは手に入った。お茶の種類も多様であった。
この10年、次第に市場のお茶屋さんは、皆同じお茶を扱ってどうするの、と思うくらい、扱うお茶が限られてきている。とくにここ数年、その傾向は進んだような気がする。
「龍井茶」「蒙頂茶」「安溪鉄観音」「武夷岩茶」「プーアル茶」そして今流行りの「黒茶」などに、集中してきている。どこでも、扱うものが同じという印象だ。
これでは、共倒れにならないか、と心配する。
ここ2〜3年、ブームが再来した「プーアル茶」は、前回のブームの時に手を広げて懲りたせいか、今回は控え気味の増え方である。
この茶種の集中は、どのような影響が出てくるのか。
もちろん、こうさせているのは、購買層の購買傾向が反映しているからである。しかし、それは、お茶生産の構造をいずれ変えるかもしれない、と感じるのは、私だけだろうか。
夕食を、若き画家の家ですることになっていて、古い街並みの奥にある普通の中国人の家、ということで行った。そこで見たものは、まさに驚きであった。
「永康路」。
写真にあるように、建物は古いままの通りだが、その通りに面した一階部分は、軒並みバー、カフェ、ビストロなど。看板は、ほぼ横文字。
スペインの、サン・セバスティアンかビルバオのバル街をも彷彿とさせる街並みである。行き交う人も、欧米人が多数をしめる。
旧フランス租界だったというここが、また戦前の租界に戻ったのでは、といった雰囲気である。上海の昔のエネルギーがこうだったのでは、と思える賑わいである。
何軒かの新しいレストランで、食事をした。どこもおいしかった。
行くたびに、新しい、しかもおいしいレストランが登場する。今回も、皆新しいところだった。
日本も、同じかもしれないが、日本の比ではない。過去、おいしかったレストランの多くは忘れ去られている。
上海人の食へのこだわりは、次々に新しい刺激、おいしさへと、異常な早さで移っていく。
味を守り続けてもらうため、しばらく通って、そこのシェフを支えなければ、なんて気持ちはないのかもしれない、と思うくらいである。
その早さは、20年前からそうであったが、豊かさの定着とともに、このところますます早くなっている気がする。
でも、レストランは変われども、頼むメニューは、意外に変化していない。上海料理でいえば、前菜を数多くとるが、その前菜メニューは、20年前のものとあまり変わりのない上海料理の定番である。
求めている味、好みの味は、変化しているようで、基本は変化していないのかもしれない。
よりおいしいと思うレストランを求め、移動しているだけなのかもしれない。どこまでその進化は続くのか。この次の10年で、変化があるのか、興味あるところである。
そんなことを考えながら、人が「魅力」を求めるがゆえの、移り気、変化。その一方で、「永遠の魅力」を求める心。そこから生まれる「不易と流行」。
この矛盾とも思われる中で、中国茶はこれからどのような変化をしていくのか。
お茶として2000年を超える永続性は、飲み手の変化に対応して、お茶の製法を変えてきたことにある、と私は考えているが、これからもそういう対応をするのだろうか。
お茶の種類が、市場で集中するということは、消費者の要求も、限られたお茶に集中する傾向にあるのか。
中国茶のもっていた、種類の多さという多様性のよさは、限界なのであろうか。
その将来が見えない気がした。