2015年9月1日
7月、8月と、断ることに決めていた講演会で、お仕事をすることになった。といっても、1回は、陰でお茶をいれること、もう1回は、メインの講師のお話を引き出す、聞き手の役割で、ボランティアで引き受けた。
ともに、中国茶関連のブログなどで人気の高い富田さんからのご依頼だった。富田さんは、古く私のサロンに来られて、そんな関係からいろいろのお願いごとをした関係もあり、二度とお願いをしない、されないことを条件に、お断りしきれなかった。
彼女とお知り合いが、お二人で始められた、年間単位の勉強会(?)というか、講座(?)の講演会であった。
ここ数年、中国茶をやっている方々からの講演などの依頼は、基本的にお断りしている。公の機関や教育機関などは、お引き受けすることもあるが‥
理由は、「もう私の時代ではないでしょう」、ということだ。私の話より、その頼みにこられる方が話す時代でなければならない、という思いがあるからだ。
新しい地平を、築かなければならない。新しい地平が、生まれなければならない。
そうしなければ、いつの時代、どの分野でも、その将来はない。
頼りなくても、先人がいくら優秀であっても、その時代を担う年代の人が、どんどんリーダーとなって、いろいろのことを行っていかなければならない。
30代、40代と20年にわたって経済界を、それを取り巻く世界を、編集者として見てきた経験から、それが私の信条の一つになっている。
どんな優秀な経営者でも、「早い」と思われるくらいのところで、後継にその役割を譲れなければ、いずれその企業は衰退する。
カリスマ型、創業型の経営者は、その引き継ぐ時期が、ものすごく難しい。それは、自身が最初からリーダーとして、優秀であるがゆえに、後継者が育ってこなかったことが多い。育てなかったケースも多く見受けられた。
大抵が、企業力としてピークになった時、しばらくしてから後継へ道を譲る。最悪は、下降し始めてから譲るケースだ。
また、こういうことも見てきている。
譲られた後継者は、はた目から「この人で大丈夫なの?」と最初は思われる。前の経営者が優秀であればあるほど、そう思われる。
経営者ばかりではない。敏腕の現場営業マンなどがやめる時、よく上席から言われることである。「君がやめると、この会社はつぶれてしまう。やめないでくれないか」。
言われる方にとってみれば、つぶれようが、やめてしまう会社なので、関係ない。それでも、言われた方は、心地よいし、言っている方も、本当にそう思っている。
でも、会社であれ、組織であれ、そんな「かけがいのない」人材がやめて、会社がつぶれたり、組織が終焉したりすることは、まず見たことがない。
だめそうだ、この会社もこれまでか、と思っていても、後継者で、頼りなく見える人は、たいてい半年もすれば、立派な社長の顔、振る舞いになっている。変わる優秀な営業マンが登場している。
器、立場、環境、状況が、人を育てるのだ。その場を、いかに経験するかから始まる。
今のような中国茶への接しられ方が、日本においてスタートして、約20年たったと思われる。
いわば、教育型が先行した時代であった。
そのはずで、中華料理屋の「ジャスミン茶」から「烏龍茶」「鉄観音」の時代になり、中国茶はそれだけではない、もっとたくさんの種類があるのだ、歴史の長さ、文化の深さもある、という、まだほんの少しの日本人しか、その知識も持たない、体験もしてない、時代であった。
本来なら、この知識教育型、広報型とでもいうべき時代は、他の領域では10年もすれば、一つの時代の終焉を迎えるように見える。その次の顔が出てくる。
しかし、中国茶では、20年前と同じ顔ぶれの人たちが中心になって、まだ知識教育型、広報型の時代が続いている。
これでは、過去から発展した、日常飲むお茶とは意味合いが少し違う価値が付加された、「中国茶の魅力」をベースにしたムーブメントは、望めない。
5、6年前からだったか、このことを真剣に考えはじめた。
そして、機会あるたびに、後継者が行動できる、活動できる場を、譲るようにしむけてきた。
しかし、どうしてもまだまだ「古い顔」の人たちに、続く人たち自身が頼ろうとしている。
どうやら、私自身、自らの姿を消すことをするしかないようにも思えてきた。少し傲慢そうな、ナルシストのような言い方だが、強制的なこの20年間の時代の終わりを作らなければならない、と思える。
そうすれば、「頼りない」と人から言われた後継者が、ほどなく経営者の顔になるのと同じように、次の世代の顔をもった、次世代に適合した「中国茶の魅力」を牽引するリーダーが生まれてきたくれるのではないか。
私がしてきた「中国茶」での仕事。それに大きな一区切りをつける時、決断する時は、近い。