2015年11月1日
突然、電車の中で、思い出した。
台所の位置のことである。
何を思い出したかといえば、7月に久しぶりの上海で、「究極の私房菜(プライベィト・キッチン)に招待したい」ということで、行った時のことである。
私が、香港でも、台湾でも、「私房菜」に行ったりしていることを知っていて、招待してくれた。
ご存知の方も多いかと思うが、「私房菜」は、自宅などで、一つか二つのテーブルで、リタイアした名人シェフなどが、一晩一組といった限定のテーブルで、料理を食べさせるレストランが始まりであった。
もうだいぶ歴史もできたので、「私房菜」とはいえないほど、大きなレストランに成長させたところもあるし、評判で小さなところは、相変わらず予約も入らないほどで、色々のスタイルに変化してきている。
香港で最初に知ったが、台湾でもそれに近いレストランが出来たり、数年前から上海でも聞くようになったが、上海人たちは「そんなの昔から中国にはあった」と言っていた。
どこが最初かの議論は、あまり意味を持たない気もするが、多くの領域で、中国の人たちは「中国が最初」と主張する。まず、そう言ってみる、という国民的性癖ではないか、とある時からは思うようになった。明らかに違っていることもあるからだ。
招待される時に、「きれいなレストランとは違い、普通の民家で、しかも古い建物なので、汚いが、料理は上海料理としてピカイチ。どんな上海料理のレストランにも負けない、と私は思う」と、超グルメな人からいわれた。
行く直前に、食べる前に、まずアトリエを見て、それから食べようという。
よく状況も理解できないまま、行ったのは、周りは再開発が済んだビル群の中で、中国に古くからある、長屋のようになった民家が立ち並ぶところ。その路地を入った、小さな家がアトリエだった。
招待してくれた方と、共通に評価しあえる若手の画家で、招待主がほとんどの作品を買い上げ、スポンサーしているような感じである。だから、彼をあえてまだ世に出ないようにしているともいえる。
今まで、彼の事務所で見ただけだが、アトリエにも、十数枚の大きなものがあり、世に問う出番を待っているようであった。
話をしながら、お茶が出た。私が中国茶をやっている、ということで、画家がお茶を出してくれたようで、陳年もののプーアル茶であった。
ふつうの上海の民家では、龍井茶を中心に、緑茶がほとんどである。このアトリエには、簡単な工夫茶の道具もあって、毎日プーアル茶をいれて飲んでいるのだという。
持っているお茶の自慢も、聞いてもらいたかったらしい。
人一人が通るといっぱいになるほどの細い路地の向かいの家から、画家のお父さんが挨拶に来た。画家の実家は向かいの家だった。
そして、私が招待された「私房菜」は、画家の実家、向かいの家であることが、その時判明した。
後を追って、画家のお母さんが挨拶に来た。
彼女がこの「私房菜」の料理人であることも、判明した。
そういえば、香港の私房菜のはしりのレストラン「Yellow Door Kitchen」も、料理人たちはおばさんたちであった。
そろそろ準備ができた、ということで、向かいの家へ移動した。2歩で移動できる。
入ってすぐ仕切りもなく、左手にキッチンらしきところがある。ガス台が卓上型でありながら、何口も口をもった、いかにも火力が強そうなものが置かれている。周りには、綺麗に下ごしらえされた食材たちが、整然と並んでいる。
すべらないように、と招待人がさかんに気にしながら、案内してくれる。彼は、この狭い階段で、滑って落ちそうになったことがありそうだ。
そして、階段を上った左の部屋に通された。リビングとダインイングが一緒になった、ふつうの住居の部屋である。
6人座るといっぱいになるテーブル。不揃いの椅子。テーブルの上は、上海の安いレストランで使われている、テーブルクロス代わりの薄いビニールがかけられている。食事で汚れたテーブルは、このクロスをまとめて捨てることで、一瞬にして綺麗になる。
それから始まった料理は、家庭のおばさんが作る料理をゆうに超えていた。招待人が言ったとおり、今まで食べた上海料理の中でも、3本の指に入る料理であった。
ということで、台所のことである。
この私房菜。玄関を入ってすぐが、台所であった。
中国で、台湾で、よくお茶農家などに行くと、入ったところが台所である、という家が何箇所もあった。
それは定番とも思えないが、マンションなどでも、玄関が台所、というところはなかったが、すぐの部屋が台所とお手伝いさんの部屋というところも何軒か見た。
日本では、大きな家では、「勝手口」との表現があるように、玄関と入口を分けるほど、玄関とは離れたところに台所が位置することが多いと思える。
中国で、たくさんの住居をそのことに注目して見て歩いてはいないので、たまたま見た中で、玄関を入ったところの空間が台所、というのが多かっただけなのかもしれない。
食を作る場が家の入り口で、オープンに、必ず人が通るところに存在することが、どんな意味を持つのか。
中国のふつうの人と一緒に食事をしていても、医者でもない人が、必ずといっていいほど、これは何に効く、これは何に良いだの、薬膳専門家のように話しているし、好んで話題にする。
「食」が生活を通り越して、人生の中心にでもあるようにも思える。
「医食同源」ならぬ、「居食同源」と言ってもよいのか。
不思議に、台所が家の入り口に、オープンにあっても違和感がない。日本だったら、ちょっと変わった感じがするだろうし、落ち着かない気がするかもしれない。