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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2016年1月1日

最後の(?)香港へ

――たった一つだけお茶を買おう

六安枝王の茶葉の写真 20数年続けてきたサロンを終了する、一区切りつけると宣言して、その年、2016年がスタートした。
 元旦は、私と中国茶の出会いとなった香港に来ている、はずである。
 中国人たちも足が遠のいた香港。2年ぶりである。どうなっているであろう。
 そして、ひょっとすると、これが香港に来る最後かもしれない、という思いもある。

 以前は、古い街、ローカルの人が中心に活動する街であった、湾仔(ワンチャイ)に宿泊する。
 このところ定宿にしていた銅鑼湾(コーズウエイベイ)のホテルも、円高の影響もあってやめ、もう少し安いところを探さなければならなかった。
 中国人たちの足がこのところ遠のいているのは、「香港は高いから」と聞く。そして、日本へと人は移動した。

 30数年前から、香港のホテルは、世界の都市に比べても高かった。
 しかし、当時日本の旅行代理店が、そこそこのホテルと航空運賃をセットにして、2万円半ばの、オフシーズンには1万円台のツアーを売り出した。いくら30年前で、日本の物価が安かったとはいえ、国内旅行よりも安く海外旅行ができる感覚であった。

 それ以来、香港へは途中までは数えていたが、ゆうに50回を超えて通っていた。
 しかし、香港の中でも、湾仔にはあまり行かなかった。たぶん25年以上前に、当時から評判だった高級広東料理の名店「福臨門」に、2、3度行っただけだと思う。まだ、ローカルな古い街並みの中に、ここが一人5万円も6万円もかかる、超高級店かと思う、普通の作りの店であった。
 注文して食べた料理は、名物のフカヒレ、鮑は当然食べず、「福臨門はじまって以来の安いお客」と言われるくらい、安い予算で食べた。でも、おいしかった。

 中国茶を意識しはじめたのは、香港通いをするようになったのが、キッカケであった。
 それは、「食」を目指してである。
 いわゆる中華料理を食べるために、香港に繁く通うようになった。

 日本で食べる中華より、どんな安いものでも、エネルギーがあった。
 そして、広東料理はもとより、上海料理、北京料理と、中華料理の多様性を、楽しむこともできた。
 ただ、不思議に四川料理店は、数えるほどしかなかった。当時の香港人は、辛いものをあまり好まなかった。私のいつも行くおいしい四川料理店は、行っても客のほとんどが欧米人であった。
 今は違う。四川料理店、あるいはスパイシーな中華メニューが、多くなっている。

 そんな香港で、レストランに行って出てくるお茶は、プーアル茶であった。
 最初は違った。高級なレストランほどそうだったが、日本人と見ると「茉莉花茶(ジャスミン茶)」が出てきた。周りの香港人たちは、それとは違う黒い色のお茶が、ポットで、だまっていて出ていた。

 香港の人からも、家で飲むお茶も、プーアル茶という話を聞いた。
 レストランでも、プーアル茶を頼むようになった。広東語では、「ポウレィ」。そう言って、注文していた。

 どちらかというと淡白なものが多い広東料理。その中にあって、日常から飲まれているお茶が、カビ臭いお茶。
 ところが、食中に飲んでも、邪魔になることがなかった。
 そればかりか、暑く湿気の多い香港の気候には、身体に自然にしみ込むような感じで、かえってすっきりする感じがした。

 そのうち、年代物が高いと聞き、安くておいしいプーアル茶の買い方を研究した。
 当時は、英記茶荘がちょっと高級だが、支店の数も多く、おいしいお茶を扱う老舗として、幅を利かせていた。
 街かどでもよく見かけた。それから、中国系デパートのお茶売り場があった。まだ英国領だったから、横文字のデパートの方が高級路線で、中国系デパート、しかも大陸系の資本のものが、いくつかあり、その一角にお茶売り場があった。

 もちろん、メインに扱うお茶は、プーアル茶。陳年の高いお茶から、1斤(600g)日本円で数百円のものまで、値段の段階別で、10種類近く並んでいた。
 今思うと、すべてが熟茶の散茶で、餅茶などの固形茶は、棚に並んでいて、売れている様子もなかった。

 だんだん買うのも慣れてきて、ふだんに飲むためのお茶には、価格でいくと下から2番目か3番目。見た目で判断するには、お茶の減りの多い(たいていが、ガラスのショーケースに区切られて入っていて、その残量の少ない)ところのお茶を買うと、間違いないことに気づいた。現地の人の支持を得ている証である。そして、実践した。

 そうやって中国茶への興味が出てきた中で、別のお茶屋さんにも行くようになった。
「茶藝楽園」、龍井、碧螺春、白毫銀針などの高級茶が買えた「福茗堂」、そのうち「樂茶軒」ができた。樂茶軒の方は、のちにプーアル茶へと品揃えを変えていくが、茶藝楽園では、おいしい鉄観音(今は安溪のものとわかるが、当時は木柵など産地の違いもわからなかった)に出会ったのも、鳳凰単欉(洒落たお茶名がついていたので、茶種を知るのはずっとあとだった)のフルーティで高貴な香りを知ったのも、ここであった。
 店員のおばさんが、試飲のお茶をいれてくれる動作が、首を微妙に振り、いかにもおいしいお茶に感じさせてくれることも、楽しさの体験であった。

「よいお茶はお金の集まるところに集まる」。
 私が昔作ったフレーズだが、当時の香港は、まさにこのとおりだった。
 そして、私は中国茶の魅力へと引きずり込まれていった。

 香港も、返還後、普通の成熟した都市へと変わっていった。ここでなければ買えないお茶は、ほぼなくなった。
 まだ一つだけ、香港でなければ買えないおいしいお茶がある。
「六安茶」(安徽省)の「茎茶」である。それは、初めてプーアル茶を買った「英記茶荘」にある。「六安枝茶」の名前で売っている。

 私は、30数年前と同じように、香港に食べにきた。そして、たった一つ、このお茶だけを買って帰るつもりである。

(写真は、「六安枝王」(香港・英記茶荘))

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