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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2016年2月1日

メモリー。香港でのお茶との出会い

――思い出に負けて、余計に買ったお茶とは

安溪鉄観音の茶葉の写真 香港で、今回買ったお茶は、二つ。一つだけのつもりが、思い出に負けて、もう一つ増えた。
「六安茶」の茎茶を、「英記茶荘」の中環(セントラル)の店で、そして「安溪鉄観音」を、銅鑼湾(コーズウエィベイ)の「三思堂」で買った。

 英記茶荘は、30年ほど前から、すでに何回めかの改装をしている。相変わらず、決して愛想のよい対応ではない。こちらが話しかけなければ、あちらから話しかけることはない。
 昔からそうだから、私は慣れているが、観光客にはこれでは向かないであろう。

 30年ほど前は、香港で、プーアル茶を買っていた。今思えば、散茶の熟茶である。
 普通の香港の人たちが買う、街中のお茶屋さんで買っていた。安い、おいしいプーアル茶がそこにはあったからである。それと同時に、少し高級なのは、中国系デパートのお茶売り場で買っていた。そこでも、安い方から2〜3番めのお茶、減り方の早い、よく売れるお茶を目安にして、買っていた。
 そして、ちょっと専門っぽく、よさそげなプーアル茶の散茶は、英記茶荘で買っていた。当時の私にとっては、高めのお茶だった。

 少ししたら、井の頭線の渋谷の神泉駅のところに、英記茶荘が店を開き、香港で買える主だったお茶は、そこで買えるようになった。
 が、そこでお茶はほとんど買うことがなかった。何となく、香港の店の方がよいお茶のような気がしていた。まったく気分の問題で、同じものであったに違いない。その店は、紅茶の輸入などで有名だった片岡物産がやっていると聞いた。

 その英記茶荘が、銀座四丁目の角の丸いビルに、茶館を開いた。20数年前のことである。片岡物産がやっているせいか、階の上だったか下だったかに、トワイニングのティールームがあったと思う。

 研究所で中国茶を仕事にする以前、香港で買うお茶屋さんは、決まっていた。上に書いた店の他でいえば、福茗堂。中環のランドマークのビルにあった。おしゃれな作りだった。ここでは、白牡丹とか壽眉を買った。おしゃれな感じだったのは、あとでそのオーナーを紹介されてわかった。彼は、ファッションのエルメスの香港を中心とした地域の総代理店のオーナーでもあった。
 エルメスが食器の扱いに進出した時に、彼が働きかけて蓋碗をラインアップに入れるようにしてもらった、と本人から聞いた。今でもエルメスが売っている陶磁器の中に、蓋碗はある。

 もっと前、香港に行くようになって、プーアル茶以外のお茶に興味をもった最初のきっかけとなった店は、「茶藝楽園」であった。もちろん、返還前で、観光客も多く、それを目当てにしてか、尖沙咀(チムシャツイ)にも小さな店をいくつか出していた。
 その中の一つが、私の行きつけの店だった。「鳳凰単欉」や「鉄観音」のおいしさを最初に教えてくれた店である。

「安溪鉄観音」と言っては売っていなかった。「鉄観音」とだけ言っていたような気がする。
 商品名を「酔貴妃」と名付けて、鉄観音の中でも高いお茶があった。数度目の時に、高いけれども買ってみようと思って、飲んでみてびっくりした。当時の私には、新しいおいしさだった。
 後日、武夷山に行くようになって、武夷岩茶の中にも「酔貴妃」という種類があって、こちらは品種の名前、茶藝楽園ものは、お茶屋さんが付けた名前、というのがわかるまでに、当時はずいぶん悩ましいことで、わからないことであった。

「鉄観音」といえば、茶色の色のお茶という、缶入り、ペットボトル入りの中国茶のイメージであった。香港で売られている多くの「鉄観音」も、茶葉は丸まって、茶色になっていて、いれても茶色の色のお茶であった。
 ところが、20数年前、研究所に移流少し前、同じ香港で緑色の丸まった茶葉で、お茶をいれてみると山吹色の透明感が少しあるお茶に出会った。「雅博茶房」の葉さんを、研究所の社長に紹介され、一緒に会うようになった。
 その時に、「安溪鉄観音」として、紹介されたのが、このタイプのお茶であった。
 おいしかった。そして、また「鉄観音」の概念が変わった。

 同じ名前のお茶、産地も同じでありながら、まったく茶葉の形状も違い、色も違い、味、香りも違うお茶が存在する。このことに違和感を感じながら、迷いながら、どちらが本当の姿、本物なのか、と真剣に悩んだ。
 私たちの感覚でいえば、ある一つのお茶名であれば、違うとはいえ、ある範囲の中で、色、形状、味、香りは同じものでなければならない。
 そうではないことを理解するのに、ややしばらく、いや、長い時間がかかった。

 ダブルスタンダード、トリプルスアタンダード、ある場合はもっと多様なスタンダードが、同じ中に許され、存在していることを、理解するというよりは慣れるまでには、ややしばらくの時間、年月が必要だった。
 お茶でいえば多くのお茶を経験し、知って、ずいぶんたってから、はじめてそれを許容できるようになった気がする。そうでない時には、どちらかが本物で、どちらかが偽物、あるいはどちらかが嘘をついているなど、すべてにおいて懐疑的になっていた。

 日本人の潔癖さは、ものを理解する上には、非常にわかりやすくできている。日本人が「曖昧である」、という認識は、ここでは違う。

 香港での「安溪鉄観音」は、その後も出会いを生む。研究所が、返還前の香港で、シンポジュームを開いた時、参加されていた香港在住のジャーナリスト・池谷さんが、ある時日本人を奥さんに持つ、香港のデザイナーが茶舗を開いたので、行ってみては、と紹介してくれた。
 それが「三思堂」である。
 そこで、また違った味わいを持つ、「酔紅観音」という焙煎したタイプの「安溪鉄観音」に出会った。おいしいものだった。
 なにより、三思堂は、ご主人の蔣さんの人柄がよかった。いつもニコニコしながら、謙虚に話をしてくれた。

 香港でもう一つ計画外で買ったお茶は、蔣さんに会ってみたくなったからだ。訪ねて、同じビルの中で、階を変えて移動していた。会ったついでに、思い出の「酔紅観音」を買ってみた。

(写真は、「安溪鉄観音」)

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