2016年5月1日
3月1日のこのコラムに、人生、出会うのはこれが最後かもしれない、と思った、台湾の無名のお茶について、ふれた。
ところが、である。
また、それと同じ感じのするお茶に出会った。そして、サロンに来られている皆さんとも、4月の会で飲んだ。
そのコラムにも書いたが、20年ほど前、「禅茶」と呼んだ台湾の烏龍茶があった。揉捻もほとんどされず、発酵も極端に浅く、いれても、色が出ない、味もあまりしないお茶であった。
飲み進むうちに、薄く清らかな香りが身体全体に浸み込むような感じで、手足の先は、ほんのり暖かくなってくる。妙に心が落ち着き、他の人と会話をしなくても、しっかり心の中で通じあっているような、そんなお茶であった。
主張もせず、それでいながら、また飲みたく、というよりも、会いたくなるお茶であった。味も、香りも淡白を通り越して、ほとんどしないお茶でありながら、20年を経ても、しっかりその時の味、香りを思い出すことができるお茶でもあった。
そんなタイプのお茶に、今年の冬茶で出会った話を、3月に書いた。
そして、そんなお茶に出会えることは、もう私の人生でもないだろう、と言った。
なぜなら、過去「禅茶」に出会ってから、20年ほどを経て、やっと出会えたくらいだから、これから、次に出会うのは20年後かもしれない、と思ったからである。たぶん、もうこの世にいない可能性も高く、これが最後であろう、と思った。
そのつもりで、飲んだし、飲んでもらった。
ところが、である。
たった3か月するかしないかで、また、同じようなお茶に出会った。
同じように、淡白で、主張はせず、それでいて、どのお茶よりも、清らかで、心のどこかに、身体のどこかに、しっかり記憶としても残るお茶であった。ジェントルというべきか、格調高い品格すら感じさせる。
私が士と仰ぎ、友と思う茶舗の主人から、あまり量は作られなかったお茶なので、売り物ではない。と言いながら、残った両手でもてるほどの量しかない中から、帰り際に、少しだけ渡してくれた。彼の気持ちも入っている。
数か月の間に、立て続けに二つもすごいお茶、もう出会えないお茶に、会ってしまった。何か、よくないことが起こる前触れでは、とでも思いたくなるような、タイミング、出会いである。
サロンの方々と飲んで、このお茶はあと数回分しか残っていない。
飲んでいない方には、どう表現しようとしても、どう説明しようとしても、理解していただくことはできないお茶である。
体験したものどうししか、思いを共有できないことは、少し寂しいことである。もっと多くの方々に、感じてもらいたい、とは思うのだが、量が少ないので、無理である。
そんなお茶に出会えた人、飲めた人は、幸せだが、それ以外の人は不幸かと思うと、じつはそうでもないかもしれない。
「知ってしまったこと、至福を体験してしまったことの不幸」ということも、あるからである。
お茶のことだけではなく、たとえば、「おいしい」食べ物、お料理に出会い、そして至福を感じ、味わったとしよう。そのあと、「おいしい」といわれるものに出会うたび、まわりは「おいしい」といくら言っても、あの忘れられない至福の味と瞬時に比較して、心の中では、「まずくはないが、あの方がおいしかったな」とつぶやく自分がいる。
皆が感じている幸せを、少し引き算した形で、感じることになる。
「至極」を知らなければ、皆と同じ喜び、幸せを感じることができたのに、嬉しさも半ばになってしまう。
一方で、「至極」を目指し、求めて、訪ね歩くことになる。
そう簡単には、出会うことはできない。だから、相手にはわかってもらえない「体験談」「思い出話」として、語ることになる。
それは、ともすれば、「うさんくさい話」になってしまい、場合によっては嫌われる材料になる。
人は、他人の幸福だったことを、必ずしも同じように喜んではくれないことも多い。
私の場合でいえば、「禅茶」に出会って、ずっと探し歩いて、会えない年月が長くなって、もう出会えないお茶として諦めて、すでに10年近くたった。もう忘れなければならない、と思いながら、何かの時に思い出す。
しかも、味、香りを、どのお茶よりも鮮明に思い出す。
そして、私のいろいろのことの終わりも見えてきたころに、突然、現れた。しかも、数か月の間に、二つも。
今まで私が言ってきた、「すごいお茶」の存在。限られた人数とはいえ、他の人に体験してもらうことで、私が嘘つきではないことを、証明できた気もする。
サロンを、今年いっぱいで閉めようと決めたことと、何かの因縁を感じざるを得ない。「禅茶」は、サロンを始めて確か2年ほどたった時に登場した。そして、サロンを閉める時に、二度も姿を変えて登場した。
閉じることを、お茶も認めてくれたような気がした。
(写真は、今回の話題に登場するお茶。
しいて茶名をつけるとすると、台湾の高山烏龍茶)