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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2016年5月15日

サロンの思い出ばなしD

――今に導いてくれた人たち(その一)

サロン風景の写真 中国大陸、台湾から、よいお茶、おいしいお茶、めずらしいお茶が届き続けたこと、そして今も届き続けていること、それは、人との出会いによるところが大きい。
 サロンを続けられたことは、この人たちとの出会いがなかったら、なかったであろう。

 まず、一番先に挙げなければならないのは、兪向紅さんである。
 オムロンの研究所で、中国茶サロンを始めたとき、スタッフとして、合流した。他のことで、すでに研究所とは交流があり、中国茶をテーマに扱うということで、チームに加わった。
 上海出身で、日本に留学で滞在し、そののち常勤スタッフとして、サロンの活動をスタートから一緒に行なった。

 この人がいなければ、今の私の活動もなかったといえるくらい、一緒に仕事をしてくれた。
 まず、中国における人脈がすごかった。ご家族の関係もあるが、この人の力なくしては会えなかった人は、たくさんいる。
 中国国際茶文化研究会の王家揚初代会長に、最初に会いにいくセッティングも彼女がしてくれた。その後、ことある度に、訪問先でのキーパーソンとの面会のセッティング、通訳、現地での移動手配など、すべて彼女がやってくれた。

 彼女とは、共著で書籍を何冊か出した。
 取材、文献の解読、撮影など、本作りのことも彼女との一緒の作業がなければ、できなかった。

 また、彼女がサロンで茶藝を教える姿には、魅力があったし、人気もあった。
 その前提になる、お茶をおいしくいれる技術は、ピカイチであった。
 彼女は、中国茶を、東京の研究所のサロンで、仕事として行なう中で、勉強した。もともと上海なので、龍井茶を中心にしたお茶は飲んでいたものの、お茶を研究や教える対象として位置づけたことはなく、日本で一緒に勉強したことになる。
 でも、中国での育った環境や、そこから身についていた中国文化の教養が、彼女を優秀な中国茶スタッフとしていった。
 彼女を通して、中国の人たちとの付き合い方を学んだところもある。

 私が、オムロンの研究所を離れ、東銀座のサロン活動を行なっている時も、研究所からサポートで教えにきてくれていた。
 そして、間もなく中国に戻り、ご主人と一緒の生活が始まり、上海のオムロンで広報担当として働く傍ら、私のサロンのいろいろな相談、お茶の手配などをサポートし続けてくれた。

 彼女のご主人・張亦文さんも、兪さんが仕事のため、お子さんのことなど、時間がとれないときに、張さんの得意分野や人脈を使って、いろいろと力を貸してくれた。
 今も、私が中国へお茶の関係で行くときは、張さんが同行してくれることが、ほとんどである。

 兪さんは、上海に戻ってからあと、日本人の駐在の奥様方などを対象に、中国茶サロンを開らき、たくさんのファンが生まれた。
 その後、中国医学の病院の経営者となり、自分のサロン閉めてはいる。でも、今でも、兪さん張さんのご夫婦の協力で、中国からよいお茶が、私のところには集まってきている。

 中国のお茶の世界で、最初に、我々に道筋をつけてくれたのは、中国国際茶文化研究会の初代会長である、王家揚さんである。
 研究所でのサロンをスタートさせるにあたり、この人と出会えたこと、そして支援してくれたことが、大きな力、大きな支えになって、今がある。

 王家揚さんは、元浙江省副省長であった。政府の現職のころは、文化、教育の担当であったので、芸術もふくめた分野において、広い活動をしていた。
 浙江省、とくに杭州は、唐の時代から、文化、芸術の分野においても、中国でも稀有の環境であったこともあり、お茶のことだけではなく、いろいろの文化、芸術の施設や、関わる人たちも、彼が紹介してくれた。

 中国茶葉博物館はもちろんのこと、杭州にある美術館、博物館などを紹介してくれて、場所によっては展示していない貴重な収蔵品をみせてくれる手配までしてくれた。
 まったく中国の文化、芸術に門外漢であった私が、興味を持ち、感動も味わうことができたのは、王さんのおかげである。杭州にある、「浙江美術学院」の院長であった、画家の潘天壽の作品、記念館を教えてくれたのも、王さんであった。その作品のすごさに、今まであまり好きではなかった中国の絵にも、感動し、引き込まれるものがあることを発見させてくれた。

 その時代の中国茶文化研究会の活動は、まさに杭州を中心にするそれらの施設、研究所などの人たちも一緒に集う活動であった。博物館、美術館の館長や副館長たち、西冷印社のメンバーたちも、研究会の国際会議などに参加し、一緒に食事をしたり、いろいろの話をして、楽しい会であった。それも、王さんがセッティングしてくれた。

 研究所のサロンがスタートする前、中国茶のことをいろいろ教えてもらいたくて、王さんを訪ねた。研究所の研究テーマは、「高度化した社会の生活において、潤い、癒しといった、茶の役割を実践的に模索する」ものであった。
 王さんに会って、その旨を告げ、いろいろと教えて欲しいと、協力を乞うた。
 その時の王さんの答えを今でも覚えている。
「わかりました。中国は、今、まだ高度化までいっていない、成長途上にあります。ただ、私たちは、20年後、同じテーマを抱えることになるでしょう。その時のためにも、私たちは協力を惜しみません。」
 というものだった。

 王さんは、そのように未来を見据えられる人だった。まだご存命でいるはずだが、4年前、西安での国際茶文化研究会の理事会で、数年ぶりにお会いして、ハグされた。95歳くらいのはずだったが、その力強さに驚いた。

(つづく)

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