本文へスキップ

コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2016年6月1日

「なんでこんな年間企画にしたのだろう…」

――毎年繰り返す「後悔」を、最後の年も

「西湖龍井」と同じ茶葉で作った紅茶の茶葉の写真 今年の「年間企画・このシーンにこのお茶を」は、毎回私の「ショート・ショート」のフィクションのストーリーが、4つの場面になって登場する。
 毎年のことながら、年間企画は、「新しいことへの挑戦」なので、今までの、中国茶をいれて飲んでいただく、あるいは、茶会のようにお茶をお出しする、といったものの延長では、すまない。つねに、毎月、新しいことを考えたり、作り出して行かなければならない。

 しかも、サロンが今年で終了すると宣言しているので、今まで出来なかったことを企画にしようと決めた。何度も挑戦しながら、おのれの能力のなさをそのたびに知って挫折した、中国茶が登場するショート・ショートを書いて、そこに登場するシーンを思いながら、登場するお茶を飲んでもらおうという企画にした。

 ショート・ショートといっても、書き始めてみると、適当な文字数は、400字詰め原稿用紙4枚程度になる。それを毎月4本、書かなければならない。
 毎年そうだが、1月にスタートして、まあまあ3月、4月までは、わりに順調に進むが、それを過ぎるあたりから、「なんでこんな年間企画にしてしまったのだろう」と、毎回の準備の苦しみを味わうことになる。

 今年は、その苦しみが早晩くることは、能力のなさからくる、過去の何度もの挫折から、容易に想像がついていた。企画を決める前から、周到に見通しを立てて、スタートさせた。
 スタートする前には、すでに1年分、計48本の内容の企画が出来あがっていた。
毎月の大きなテーマ、登場する4つのシーン、それに当てはまるお茶のだいたいの目処、などなど、用意は万全であった。

 1月から、わりに順調に書くことができた。出来の良し悪しは別として、ともかく書くことができた。
 毎回のお茶を出すタイミングや、2時間のクラスでの進行のさせ方なども、参加される方の慣れも含めて、3月くらいまでには、ほぼスタイルが出来あがってきた。
 私が、原稿を書くスピードは、順調であれば、400字詰め原稿用紙の1枚を、30分くらいで書き上げる。だから、毎月、順調だと、1本2時間で書き上げ、それを4本書くので、約8時間の延べ時間が必要になる。
 そして、それは草稿で、それを通常は、一晩寝かせて、翌日以降で、推敲をすることになる。場合によっては、全面書き直すこともある。

 それは、順調に筆が進み、内容もまあまあの出来の場合である。なかなか、思うように書けない場合、草稿を書くのに、時間だけが過ぎて、何度も何度も、書き出しの部分を書き直し、そしてやっと最後までたどり着くには、通常の3倍程度の時間はかかる。
 そんな行き詰まりが、4月を過ぎ、5月になると、めっきり増えてきた。

 周到な準備は、一部であったことが判明する。それは、書くことにかかる「時間」の概念が欠落していた。書く延べ時間を、どう確保するかを、ほとんど考えていなかった。
 駆け込み完成が、現実のものになってきた。

 早速、5月に、「なんでこんな年間企画にしてしまったのだろう」、と例年の、恒例の「後悔」をすることになった。
 だんだん、筆が進まず、シーンのイメージを膨らませることもできず、ましてストーリーの展開など見通しがたたない状態に落ち込んでしまった。

 4月末からのゴールデンウィークは、数日の余裕が作ってあった。そこを当てにしていた。前半の福岡をベースにしての、有田、伊万里、唐津での用事を足し、そして連休明けすぐの大阪、京都。その間が、苦戦しても、なんとか書き上げて、関係のクラスには、配布できる予定だった。

 ところが、予期せぬ葬儀が入り、函館に飛ぶことになった。トンポ帰りに近い行程とはいえ、そのあてにしていた3日間は、消えてしまった。

 久しぶりに、「締め切りが怖い」思いをした。
 出版社時代に、原稿を、著者が締め切り通りにはなかなか書き上げてくれず、決められた発行日に発行できるかどうか、危うい綱渡りを何度もしたことが、頭をよぎった。
 その時代は、「徹夜」と著者、デザイナー、印刷所などへの「頭下げ」で何とかなった。
 今は、私一人がすべての工程、責任を負う。「間に合わない」は、許されない。
「こんな年間企画…」と悔やんでいる暇などない、と例年なら帳尻を何とかあわせてきたが、今回ばかりは、本当に「こんな年間企画…」である。

 サロン最後の年にして、最悪の内容とも言われたくない。
 と悩みつつも、5月はなんとか間にあわせた。

 でも、5月でこうなったので、6月以降は、もっともっと筆は進まなくなる。
 どうするか、考えたくもない。
 そんな中での救いは、5月のシーンの一つに登場する、「梅家塢で作られた紅茶」をおいしくいれられたこと。それを、感嘆の言葉、表情で、飲んでいただけたことである。
 シーンには、こう書いた。

  (前略)
今日も、この人に「幸せ」を感じてもらうためのお茶を、いれた。
  (中略)
 
「梅家塢・西湖龍井の紅茶」。この人の好みにあうように、一年ねかせて、旨みをもたせた。
  器は、中里太亀さんが作ってくれた茶壷にしてみた。茶海も、茶杯も、彼のものでそろえた。
 お湯の温度は、より熱く。
 理論でお茶をいれる時代からは、もう卒業したと思って久しい。さりげなく。
  (中略)

  ひと口含み、この人は少し首をかしげた。
  もうひと口流し込むように飲んで、この人はまた少し首をかしげた。
  私も飲んでみた。私には、「おいしい」。
  でも、三口めを飲んだこの人は、「あまり好きではない」と遠慮がちに言った。
  私の「幸せ」は、遠のいた気がした。
「幸せの行き違い」。
  これもまた、生きている中では、よくあることである。だから未来はあるのかも。

 ストーリーの結末は、こうだが、実際に飲んだ人たちは、出されたお茶に驚きをもって、おいしく感じてもらえたらしい。
 このストーリーにあわせ、この書いたとおりの器を使い、そして、書かれている以上の何かを込めていれた。
 そこには、飲み手が感じる「幸せ」と、それを感じたいれ手の私の「幸せ」が重なっていた。それが、救いであった。

(写真は、浙江省杭州で、「西湖龍井」と同じ茶葉で作った紅茶。
茶区は「梅家塢」で、個人用に、特注で作られたお茶。
それを一年ねかせたもの。)

続・鳴小小一碗茶 目次一覧へ