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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2016年8月1日

15年ぶりの再会で、蘇る思い出

――「舒城蘭花」が思い出させてくれたもの

舒城蘭花の茶葉の写真「思い出が蘇る」年齢になってしまった。
 以前に、話している話題が、すべて過去形で語られていて、未来形がないことに気づき、歳を感じた、と書いたことがある。
 その時に、もう人の先頭に立って、リードすることは、そろそろ止めた方がよい、と感じた。もともとそんなにリードすることなど、できないし、実力もない。それなのに、それらしくしていたのだから、なおさらだと思った。

 60歳をすんだ時から、中国茶においても、そうあるべきと思い、とりあえずは、公的なトップの役職を後の方に移管した。
 しかし、自分でやってきたサロンを中心にした活動は、すぐにそうもいかず、ずるずると従来どおりやってきたが、サロンが20年を過ぎたのをきっかけに、今年限りでやめることを宣言した。

 人のむかし話、思い出話ほど、飽きる話はない。最初は、そうかそうか、と聞いているが、そのうち飽きてくる。なぜかといえば、それは「他人」の話だし、多くは自分では到底経験できない話だからである。少しでも自分の将来と関係あるとすれば、興味も湧くのだが、過去の話だけでは、「そうなの!」とうなずき、終わってしまう。
 お茶の領域でいえば、もし過去が未来に続くものがあるとすると、お茶のいれ方くらいのものか。それまでその人がやってきた経験を、次の自分のいれ方に結びつけることができるからだ。

 なぜ、過去の話ばかりでなく、それに追い打ちをかけることを感じたかといえば、「思い出が蘇った」からである。
 上海のお茶屋さんで、15年以上前に出会ったお茶に再会したからである。
「舒城蘭花」。安徽省のお茶である。

『中国茶図鑑』をまとめるために、中国の銘茶を100に絞り込み、それらのお茶を集め、写真撮影から説明文書きまで、いろいろの作業をした中に、このお茶はあった。もちろん、銘茶の絞り込みにあたっては、中国の先生方の意見や文献を参考にして、独断で絞り込んだ。その絞り込みの過程で、なるべくお茶屋さんで買えるお茶を選ぶことも、一つの条件にした。
 といっても、お茶は、非常に地域性の強い商品で、その土地その土地で、作られ、売られ、消費されるといったことが強いものが多く、大きな都市のお茶屋さんまで、いくら銘茶であっても到達しないお茶もたくさんあった。
 記憶によると、この「舒城蘭花」は、当時、上海のお茶屋さんで、入手ができた記憶がある。

 それゆえ、2000年出版の『中国茶図鑑』には収載したが、その後、このお茶にお茶屋さんや、いろいろの展示会でも出会うことはなく、従って、2007年出版の『中国茶図鑑』の銘茶の写真入りのページからは落とし、銘茶のリストにのみ、茶名•産地などを収載した。

 このお茶が、なぜ記憶にわりに鮮明に残っているかというと、味、香りではなく、別の理由による。
 教養のない私には、「舒」の字は、いつも手書きでは間違えてしまう字だからである。だから、正しい文字原稿になっていても、校正のときに、間違った字で赤字をいれてしまったりして、それを編集者から指摘されたりするので、よく覚えている。
「舒」は、拡大して見ていただくとよいが、「へん」の中の縦棒が、上に出るのではなく、下に突き抜けている。これを間違えるのだ。

 飲んだ回数でいえば、たぶん、『中国茶図鑑』収載にあたって、試飲をしたり、残りを皆さんと飲んだだろう、という記憶しかない。だからこのお茶を飲んだのは、その時一回くらいしかないと思う。

 でも、もう一つ、このお茶が記憶にとどまっている理由がある。
「蘭花」である。
 この命名の由来は、取材や文献での説明によると、茶葉の形状が「蘭」であり、香りも「蘭」の香りのようだ、というところからきていると説明している。
 このお茶に限ったことではないが、中国茶の茶畑や茶作りをしている現場に行くと、以前は、よく「花の香り」がするでしょう、と説明された。
「どんな花の香りですか?」とつっこんで聞くと、その答えで、多かったのが、「蘭の香り」である。
 でも、私が花の香りを知らないせいか、少なくとも私が知っている「蘭」の香りでないことは確かだった。

「祈門紅茶」の畑に行った20年近い前もそうだった。畑では、このへんに咲いている「蘭」の香りがします、と説明されたが、人糞の香りの方がそのあたりでは強くて、早く立ち去りたい感じであった。
 でも、「舒城蘭花」、「祈門紅茶」に限らず、多くの現地の人は、「蘭」の香りにこだわる。私にとっては、「蘭」の香りは感じられない、という体験が、そのあとしばらく続いた。
 しまいには、現地の作り手を喜ばせる方策として使ったことすらある。よい香りがするお茶を試飲したときに、「蘭の香りがしますね」というと、嬉しそうな表情になる。お互いに気持ちが通じ合うようなことも、しばしばあった。
 そしてわかったことは、中国人の多くは、「蘭」ないし「蘭の香り」に、非常に好印象、親近感をもっているのではないか、ということだった。
 当たっているか、当たっていないか、未だに確認したことはない。間違っているかもしれないが、体験的には「蘭の香り」でずいぶん得したことも多かった気がする。

 今年春、上海のお茶屋さんで、鳳凰単(木叢)の試飲をして、話をしている時に、この茶名が棚にあるのが、目に飛び込んできた。
「思い出が蘇り」、話そっちのけで、即刻買った。
 そうして、いろいろの思い出が蘇りながら、それはもう何年前のことかと、考えた。そして、また今の年齢を重く、感じてしまった。

 皆さんと飲んでみた久しぶりの「舒城蘭花」は、「蘭」の香りは感じられないものの、どこかフラワリーな香りがする、丸みのあるおいしいお茶であった。
 15年以上前の記憶なので、あてにはならないが、以前はもう少し、スモーキーであったような気がした。
 思い出とともに、おいしいお茶に再会できたこと、飲んだ皆さんが「おいしい」と言ってくれたことが、少しうれしかった。

(写真:舒城蘭花)

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