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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2016年10月15日

サロンの思い出ばなしI

――代用品の茶器、そしてオリジナルまで。

茶器の写真 オリジナルの器を作るには、勇気が必要だった。
 いれやすい器を求めて、おいしくはいる器を求めて、おいしく飲める器を求めて、使いやすい器を求めて、美しい器を求めて、という結果である。
 オリジナルの器を作るには、発注側のそれなりの意図や構想力、企画力を、器作りに置き換えて、作家に説明する必要がある。国内の作家に、初めて頼むのに、10年ほど時間がかかった。もちろん、器を作ってもらう作家との、出会いやお付き合いをして、距離が縮まる時間も必要であった。

 器は、最初、転用が多かった。思い起こすと30年ほど前からやっていた。
 まず、茶壷である。
 香港(当時は返還前であった)で見るものを、日本で買おうとしても、なかなか気にいったものがなかった。小さくいれることだけが目標で、台所用品の売場へ行って、「醤油注ぎ」を買って、それでお茶をいれていた。けっこうよくはいった。

 次に飲む器で、茶杯である。小さなものは、酒杯をあてた。ゆったり飲む、そして少しおしゃれに飲もうと、デミタスのカップ&ソーサーを使った。当時、香港のバーゲンで買った、ヨーロッパの有名どころのデミタスカップは、使われることなく死蔵していたが、これで役目を持った。

 茶海は、最初から代用品をメインで使っていた。
 洋食器のクリーマーである。今でも、使っている茶海のほとんどは、クリーマーを中心とする代用品である。
 茶船、茶盤もそうである。茶壺の廻りにお湯をかけたり、お湯を溢れ落とすためには、そのお湯受けが必要で、気に入った深めの皿で十分だと思った。

 代用品ないし、中国茶では使われていなかったものを、転用し、数多く使ってきた。
 水盂も、使っているもののほとんどが、水盂として作られたものではない。多くは、食器の鉢であったり、ボールであったりである。中には、植木鉢カバーもあった。

 ヨーロッパで紅茶をいれるのに、過去多く使われ、日本でもお茶をいれることでも使う、ピューター(錫製品)も、中国茶の茶藝に転用して使ったのは、私が初めてかもしれない。30年ほど前、どこかの週刊誌のお気に入りの器を紹介するページに、フランスの一人用のピューターの小さなポットが載っていた。
 ずっと気になっていたが、探しても見つからず、日本でも飲み屋で、お燗をする道具で見ていたり、気の利いた料理屋でお酒を注ぐのに使われていた「ちろり」を思い出し、早速、茶壺に代わる小さなポットとして使えるような「ちろり」を探して、使ってみた。
 おいしくはいるので、いくつか買って、使うようにした。これも25年ほど前の話である。
 さずがに、今、「ちろり」は使っていない。20年ほど前に、探していたものを見つけ、それ以来、フランス製のもの、マレーシア製のもの、日本製のものなど、数多く持つようになったので、それを、時に応じて使っている。

 日本の陶芸家に、茶器を作っていただくようになったのは、蓋碗が最初である。
 それまで、中国で買っていたふつうに使う蓋碗が、次第に小さくなっていったためである。茶藝、工夫茶の広がりの影響もあったのだろうが、小さくなり、私がお茶をいれる時の人数では、小さすぎるようになってしまった。
 また、小さくなると、おいしくお茶をいれにくくなってしまった。蓋碗は、ある程度の大きさがあった方が、おいしくいれられる。

 そんなこともあって、有田の西山正先生に、頼み、作ってもらった。
 見本になる蓋碗は、大きさ、容量の参考だけで、自由に作ってもらうことを頼んだ。使い方、目的とすることだけを説明した。
 一つだけ、注文をつけた。それは、蓋と本体のあわせを悪くしてもらうことだ。日本の蓋ものの器は、蓋と本体がピタッとする、驚くべき精密さでピタッとするように作られている。それを、お茶をいれる時に、蓋をずらして、中のお湯(お茶)をあけるのには、適さない。ピタッとしていると、お湯が回ってしまったり、蓋をずらした収まりが悪かったりする。ゆえに、「あわせを悪く」というお願いをした。
 完成してからの苦労話で、一番むずかしかったのは、「あわせを悪く」作ることだった、と先生は言っていた。

 出来た白磁の蓋碗は、姿、色などはもちろん、いれてみて、期待以上のおいしさ、特徴ではいった。私にとっての名品となった。お茶が、丸く、やさしくはいるのである。今まで、道具では体験したことのない、変化であった。

 私は、その蓋碗で、10客くらいいれられる大きさでお願いし、完成したが、その大きさでは大きすぎるので、なんとかそれよりも少し小さなものを欲しい、というご要望が、サロンの人たちから出た。それに応えるために、皆さんと一緒に、その蓋碗の二まわりくらい小さなものを、発注した。

 皆さんは、その小さなものを、よく使っていただいているが、個人的な使い勝手でいえば、大きな方がお茶はよくはいるし、いれやすい。
 いずれにしても、この蓋碗は、お茶をいれる道具としては、名品になったと思う。

 その成功例もあり、もともと白磁が好きなので、西山先生にお願いできそうなものを、次に発注した。
 茶荷である。その前に、茶海を頼みたかったが、ロクロでは手の部分に自信がもてないので、ということで、次は茶荷になった。

 そうしているうちに、唐津の中里太亀先生の展示会で、偶然見た黒釉の蓋ものが、蓋碗として使えるのでは、と見た瞬間に思った。買って使ってみると、これがまた、別の魅力あるおいしさではいるものであった。5客セットで、料理の向付にでも、という思いで作られたものだった。それの転用だが、大切な茶器となった。

 中里先生は、お会いする前からプーアル茶も少し飲んでおられて、中国茶への興味を一層もたれるようになった。茶壺を試作してみた、と言ってお持ちになられ、使ってみて、コメントを申し上げて、また、作り直すことを何度かやられている。まだ、完成品にまでは至っていない。
 茶杯を作るということで、たまたま窯元に伺った時に、製作途中のものにコメントを求められた。茶杯で、小さなものでよいものがないので、本当に小さなサイズにしていただきたい、とお願いし、完成した。
 やさしくお茶が飲める、よい茶杯になった。
 そうしていたら、その周辺に窪みをつけた、同じ質感の輪花のような茶杯も、作られた。これは見ているだけで、かわいらしいものになって、今、大量に私にサロンの方々の分ができあがったところである。

 同じような感じで、中里先生は、茶海のいろいろのタイプを作られた。もともと水注しの用途で作られた大小のものを、茶海の存在をお知りになってから、茶海で使われることを意識したもので作られるようになった。黒釉のもの、唐津らしい色分けのものなど、何種類かのパターンも登場した。

 そんな中、台北の九壺堂の・勲華さんは、中里先生の作品や、西山先生の作品を見て、唐津、有田まで窯元を訪ねられ、お二人に茶器づくりを頼まれた。  西山さんへは、いつもお店で使われている白磁の茶杯、聞香杯がわりに使われる杯を頼まれた。その出来もすばらしいもので、サロンの方々も欲しいということになり、それらのお願いを仲立ちして、つい最近できあがってきた。

 茶杯は、口のあたりが、本当に重要な要素である。
 なかなかむずかしいが、買うときには口にあてて相性を確かめて買うとよい、と教えてくれたのは、30年ほど前、有田の白磁の名人・中村清六さんであった。
 中村清六さんは、もういない。世代は、変わっていく。

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