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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2016年12月15日

サロンの思い出ばなし 最終回

――「嗚小小一碗茶」。再びのエピローグ

サロン風景の写真 最後のクラスを、目白押しでこなしていく。12月はいつもそうだが、クラスは、上旬から中旬になるべく早く終わらせないと、色々の会合や、仕事の残業などで、欠席が増えるからだ。
 そして、今年は、別の意味合いを持って、集中して行われている。
 いよいよ、それぞれの最終回で、「今まで、長い間、おいでいただき、ありがとうございました」と締め括りの御挨拶をして、終わっている。

 この「続・嗚小小一碗茶」も、今回で、続編を終えることになる。
 朝日新聞のデジタル版で、「嗚小小一碗茶」を連載したのは、2012年までの5年間であった。

 そして、2013年4月から、私のホームページの中の一コーナーとして、「続・嗚小小一碗茶」として、掲載するようになった。

 そして、サロンが今年いっぱいで終わる今、同じようにこの「続編」も、いったん終わるのがよいかと思っている。
 もし再開するにしても、違った意味合い、違った対峙の仕方として、再開した方がよいと思うが、これから先のことは、まだ考えられない、というのが、今の正直なところである。

 ホームページも、12月いっぱいで、いったん閉じることになる。
 いつ再開するか、まだ今後の活動が不透明な状態であるので、見通しがあるわけではない。再開するとしても、違った形になるであろう。

 今年のサロンの「年間企画」のクラスも、最終回を終えた。
「中国茶のあるシーンのショートショート」も、毎月4シーンずつ、計48シーンを書き終えた。お茶を飲みながら、皆さんは登場人物に、シーンに、お茶に、自分を重ね合わせていただけたろうか。書き手は、最後まで、自分の筆力のなさに絶望しながら、ともかく48シーンを書き終えた。

 最後のシーンに登場するお茶は、2002年12月に作られた、台北・九壺堂の「頂級・高山烏龍茶」にした。
 そうしたのは、このサロンの名称「XiangLe=香楽」を象徴するお茶で終わりたい、と思ったからだ。「香楽」は、「清香楽園」を短縮した名称である。
 サロンを始めるにあたって、「チンシャン=清香」が、中国茶を象徴するイメージであり、それが作り上げる場、世界が、「楽園」であり、ありたい、と考えたからだ。

 この「頂級」を、サロンの初めのころから飲み始め、途中「禅茶」と呼ばれた「清香」の極みとも思えるお茶を2年ほど挟んで、2002年の冬茶まで、この「頂級」は、続いた。このお茶もまた、「清香」を象徴するお茶であった。
 当時、このお茶を飲むたびに、サロンの名前を「清香楽園」=「XiangLe」にしてよかったと思った。

 ショートショートの最終シーンに、茶館の主人が店を閉じる日のことを書いた。

「店の外の明かりを消し、カーテンを引き、店の明かりを半分におとし、いつもどおりに、洗い物をし、拭き、仕舞い、使ったテーブルを拭き、そして、乱れた装飾類を整えて、明日また開店できるようにして、すべてを終えた。
 もう待つお客は、来ないのに、準備を整えて終えた。それが、日常の終わり方であることを、今日は少し特別に意識して。空調を切り、火の元を確認し、照明を消し、ドアを押した。
 外は、凛とした寒さに感じた。空気も少し澄んでいるように感じた。
 ドアの方に向き、ポケットから鍵を出した。

 ドアには、A4の紙に、明朝体でアウトプットされた紙が貼られている。それの位置、曲がりがないことを確認しながら、もう一度読みかえした。

  ありがとうございました。
  20数年の間、おいでいただいた皆様、お一人お一人がこの店の支えでした。

  楽しかった時のお茶
  辛かった時のお茶
  嬉しかった時のお茶
  悔しかった時のお茶
  忘れたかった時のお茶
  そのすべての時が、一碗のお茶にありました。

  そして、皆様がお帰りの時に、
 「おいしかった」
  と言っていただいた時、皆様は少しの幸せを言葉にしていただけたと思います。

  その「おいしい」こそが、この店の支えであり、存在でありました。

  思い出すことは必要ありません。
  皆様が、これからも、一瞬であれ、幸せを見つける、感じる術を、思い出していただければ、それで十分です。
  お茶はそこにあります。

  ありがとうございました。

 そして、いつもどおりに鍵を差し込み、回し、閉めた。
 いつもどおり「カシャ」と音がした。」

 これが、今の私の思い、全てである。
 そして、これからの私と中国茶のあり様は、時間が過ぎていく中で、しぜんに定まっていくであろう。

 少なくとも、これからは、中国茶のことを、「こうしなければ」「こうありたい」と、考え続けることから、解放されたいと思っている。
 昔、香港からはじまった私の中国茶が、生活のシーンに意識なく、意図なく登場していたように、そんな関係に戻れることが、今の願いである。

「嗚小小一碗茶」。
 その小さな小さな茶杯の中の茶。その小さな世界が、宇宙に広がり、過去から未来から、そして人々が、その小さな碗の中に戻ってくる。時空を超え、天空を超え、そこに人はいる、私はいる。

(「続・小小一碗茶」了)

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